おそるべし!昭和天皇(山田朗『大元帥・昭和天皇』)

 山田朗大元帥昭和天皇』は軍のトップとして昭和天皇がいかに戦争に関わったかということを明らかにした本。実は著者の山田朗先生は僕の大学時代のゼミの先生でして、この『大元帥昭和天皇』も大学時代にパラパラと読みました。で、最近また興味が出てきちんと再読してみたわけですが、昭和天皇すげえ!
 アジア・太平洋戦争の日本軍において、一番的確な戦略眼を持っていたんじゃない?


 対米開戦時において「三ヶ月位にて片付ける」と言った杉山参謀総長に対して、支那事変は一ヶ月位にて片付くと言ったではないかと指摘し、さらに「支那は奥地が開けており」と弁解を始めた杉山参謀総長に対し、「支那の奥地が広いといふなら、太平洋はなほ広いではないか」と行ったケース(142ー143p)など、昭和天皇が開戦時において比較的冷静な見方をし、対米戦に不安を抱いていたことなどはそこそこ知られていることだと思いますが、実は昭和天皇は実に細かいところでもすごい発言をしている。


 フィリピンのバターン要塞後略戦において、日本軍は警備兵力として開戦直前に編成された第六五旅団をあたらせたわけですが、昭和天皇は「バタアン攻撃の兵力は過小ではないか」と指摘(180p)。
 → 大損害を出して攻撃は頓挫。
   先の事を考えれば、ここで思い切った戦力を投入せず持久戦に持ち込んだことが「バターン死の行進」につながる。


 ガタルカナル島への戦艦霧島と比叡による艦砲射撃がそれなりに効果を上げると、海軍軍令部は再び同じ計画を立案。昭和天皇は同じ計画に対して「日露戦争に於いても旅順の攻撃に際し初瀬八島の例あり、注意を要す」と、同じ作戦をとることによる待ち伏せの危険を指摘(205ー206p)。
 → 待ち伏せ攻撃にあい、比叡、霧島を失う。


 これ以外にもいくつか昭和天皇の懸念が的中してしまうケースがあるのですが、こういった細かい戦術にとどまらず、戦略面でも昭和天皇の懸念は的確です。
 その中でも一番感心させられるのが、チモールをめぐる懸念。
 近年の東ティモールの独立などで知られているようにチモール島は西半分がオランダ領で、東半分はこの戦争では中立だったポルトガル領。海軍はポルトガルの中立を侵して、ここに進駐することを主張します。
 それに対する昭和天皇の懸念は以下の通り。

 本事件に関聯し戦局を拡大することは好ましからず之により葡国が気を腐らして敵側に廻るとか「アゾレス」その他の島々を敵側に占領されるるとかいふことも考へられるるにより自体を拡大せざる様特に注意せよ(190p)

 前半はともかく、後半のアゾレス云々はまず普通の人ではわからない。僕もこの本の解説を読まなければアゾレスがどこかもわかりませんでした。
 
 アゾレス諸島とはココです↓
 
大きな地図で見る

 ポルトガル沖の大西洋の島なんですね。
 昭和天皇の懸念というのはココを連合軍に占領されて哨戒機の基地でもつくられれば、ドイツのUボートによる通称は回作戦がやりにくくなるのではないかと推測されます。もともと日本の開戦時の計画としてはドイツが潜水艦作戦によりイギリスを孤立させ屈服させるということが日本勝利の条件として入っており、昭和天皇は目先の拠点の確保よりも、こういった戦略的な立場からこのような発言を行ったのだと考えられます。


 おそるべし!昭和天皇


 まあ、この本を読むと昭和天皇は戦争について「知らなかった」などとは言えないことがわかります。戦争責任がないとは言い難い面もあるでしょう。
 ただ、この本を読んでいると、これらの昭和天皇の鋭い指摘が活かされていれば、もうちょっとましな戦争だったのではないかという気もしてきます(もちろん、「ましな戦争」というはないのかもしれませんが)。
 アホな固定観念に凝り固まった参謀たちよりも、オーソドックスながらもきわめてまっとうな戦略を述べる天皇。しかしその意見は十分に活かされたとは言えません。
 ある意味で昭和天皇の「孤独」を感じさせる本でもあります。


大元帥・昭和天皇
山田 朗
4406022856