カズオ・イシグロ『夜想曲集』

 カズオ・イシグロの最新作にして初の短編集。副題に「音楽と夕暮れをめぐる五つの物語」とあるように、すべての短編で音楽が重要な役割を果たしており、一篇をのぞいて音楽家が登場します。
 そして、もう一つの特徴は、多くの作品が夫婦間の危機を扱っているところ。それなりに人生経験を積んできた夫婦の間にいつの間にか出来てしまった溝、そうしたものをカズオ・イシグロは当事者の夫婦の視点ではなく、その夫婦と関わりを持った第三者の視点から描きます。
 先日紹介したロベルト・ボラーニョが、特に何らかの事件を強調しないままに人生を淡々と描いていくのに対して、カズオ・イシグロは「人生の転機」のようなものを描こうとします。その点で、この作品集の作品は正統派の短編だと思うのですが、結末に関してははっきりさせずに読者にゆだねています。最後の「チェリスト」などは最後まで謎めいた作品です。


 このように、非常にうまく、なおかつある意味でオーソドックスな短編集ではあるのですが、どこかしらカズオ・イシグロらしく「過剰」なところがある。 
 『わたしたちが孤児だったころ』も『わたしを離さないで』も、非常に端正で完成度の高い作品に見せて、途中からどこか過剰でグロテスクな部分が浮き上がってくるような作品でしたが、この『夜想曲集』にもどこかしら過剰な部分がある。
 一番をそれを感じるのは2番目の作品の「降っても晴れても」。
 この短編は大学時代の友人の夫婦を訪ねたうだつの上がらない英会話教師の男が夫婦の危機に巻き込まれ、なおかつ奥さんの秘密のメモを見てしまい、それをどうごまかすかという形で話が進みます。話としてはありがちなものなのですが、そのメモを見たことをごまかすための工作がエスカレートして行くさまがどう考えても過剰。ほとんどスラップスティックコメディにまで突入しています。
 この手のユーモアはつづく「モールバンヒルズ」でも感じられるもので、「うまい短編集」にプラスαのものを付け加えています。


夜想曲集:音楽と夕暮れをめぐる五つの物語
土屋政雄
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