ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』

 いまさらという感じですが、『愛を読むひと』→『めぐりあう時間たち』→『ダロウェイ夫人』という連想で読んでみました。
 いわゆる「意識の流れ」の手法を用いた作品ですが、その雰囲気やこの作品全体のテーマのようなものを表しているのは最初のほうの次の部分ですかね。

 だって、わたしは故郷の木々の一部分にちがいないのだ。また、あそこのいく棟にも分かれたしまりのない醜い家の一部分、会ったこともない人びとの一部分なのだ。わたしは、いちばんよく知っているひとたちの間を霧のようにひろがり、そのひとたちは彼らの枝にわたしをのせてもちあげる。いつか木々が霧をもちあげるのを見たけれど、あんなぐあいに。でもわたしという霧は、わたしの命は、わたし自身はどこまでもひろがって行くんだわ。(15p)


 ストーリー的にはややまとまりがないところもあるような気がしますし、人物造形などはこの日記でも何度か紹介したエリザベス・ボウエンのほうがうまいようにも感じますが、第一次大戦帰りの精神を病んだ青年セプティマスが小説に暗い影を落としてアクセントになっていますし、その小説全体を覆う死の影の中でのあのラストは力強い。
 ちなみに、角川文庫版で読みましたが、訳文はやや古くさい。


ダロウェイ夫人 (角川文庫)
Virginia Woolf
4042131034