グレッグ・イーガン『ひとりっ子』

 久々のイーガン。
 以前読んだイーガンの短編集『祈りの海』、『しあわせの理由』に比べると、アイディアの鮮烈さや完成度では劣る気もしますが、アイディアに関してはイーガンの作品に慣れてしまったからでしょう。
 ナノテクによって自らの心に信念を植え付けようとする「行動原理」と「真心」、他人との究極的理解を目指す「ふたりの距離」、そしてイーガンならではのハードな数学SF(?)の「ルミナス」など、面白い作品がつまっています。「ルミナス」を読む限り、イーガンは数学に関しては直観主義なのかな?


 後半には「オラクル」と「ひとりっ子」という二つの中編。
 舞台はぜんぜん違いますが、ともに量子力学的な多世界解釈を扱った話で、登場人物にかぶりがあります。
 Wikipediaの「量子力学」の項目に「ニールス・ボーアらの提示したコペンハーゲン解釈では、観測が行われると、状態を記述する波動関数は一つの状態に収縮しているとする」という説明がありますが、これを人びとの人生に当てはめてみせたのがイーガン。「人間が生きるとは、選択のたびに『そうなっていたかもしれない自分を殺す』こと」と「あとがき」にありますが、こうした世界観を持って書かれているのがこの2つの中編です。
 特に、「ひとりっ子」はロボットやAI、そしてそれに対する人びとの反応を扱った作品として、例えばナンシー・クレスが「ベガーズ・イン・スペイン」のような作品にも仕上げることも出来たと思うのですが、イーガンがこだわるのは、そこではなくて唯一の世界や唯一の人生というものです。
 正直、主人公の唯一性へのこだわりに関しては理解出来ない面もあって、「違うバージョンの宇宙に違うバージョンの自分がいてもいいじゃないか」と思うのですが、ある意味で、これはイーガンのずっとこだわってきたアイデンティティの問題において根源的な問いなのかもしれません。
 この「ひとりっ子」を読んで、なんだかアイデンティティというものにこだわりきれない自分を発見した感じです。


ひとりっ子 (ハヤカワ文庫SF)
Greg Egan
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