リチャード・フラナガン『姿なきテロリスト』

 テロというタイムリーで生臭いテーマを描いた、自然保護運動にも活躍するオーストラリアの作家リチャード・フラナガンの小説。
 オーストラリアのシドニーを舞台に、行きずりのレバノン人の男と寝たオーストラリア人のポールダンサーのドールはテロリストに間違われ、マスコミと警察に追われます。生臭すぎるようなテーマを詰め込んだ情報量と露悪的な筆致で埋めていくのはドン・デリーロに似てますね。
 ただ、同じくテロの周辺の風景を描いたデリーロの『堕ちていく男』に比べると、フラナガンのほうが若い分、よい意味で通俗的でスピード感がある。「ドリームワークス映画化!」と帯にありますが、そのまま映画に出来そうなスピード感とテンションの高さがあると思います。
  

 そんなサスペンスのように進む小説ですが、後半になった明かされるドールの過去を描いた部分は、やや露悪的な小説の中にあってはっとするほど美しい部分です。
 ラストに関しては、やや安易なような気もしますが、テロという恐怖の情報に翻弄されるドールという一人の女性の姿と、その恐怖を煽り、その恐怖の中で踊る人びとの怖さを的確に描いた小説です。
 次の部分に見られるように人びとは恐怖を楽しみ、恐怖に踊り、そして恐怖を利用する人間がいるのです。

「な、いいか、おれはバリへ行った。バカどもがやらかしたことをこの目で見た。それが真実だ。だがオーストラリアはその真実を見なかった。昨日までは人間だった焦げたかたまりなんぞ見なかった。テロリストどもは、おれたちの街をどこもかしこもバグダッドに変えちまいたいんだ。恐ろしいことだよ、トニー、だから人は恐れる必要があるんだ。そうさせることはおれたちの仕事の一部でもあるんだよ」(266p)

 これは小説の中のテロ対策の責任者の言葉ですが、そういえば、日本でも警察や検察の人ってやたらに「治安の危機」を訴えますよね。
 そんな意味でも少し怖い小説です。


 ちなみにどうでもいいことですが、音楽ファンは3年前のサマソニにも出たCat Empireの名前が95ページに登場しているのにも注目。


姿なきテロリスト
Richard Flanagan
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