高原基彰『現代日本の転機』

 若手の社会学者が、現代日本の抱える問題の本質を1973年を転機として描き出そうとした本。
 Amazonのページの内容紹介だとこんな感じになります。

 今日、すべての人が被害者意識を抱え、打ちひしがれている。現代日本を覆うこの無力感・閉塞感はどこから来たのか。石油危機に端を発する「七三年の転機」を越えて「超安定社会」というイメージが完成した七〇年代から、バブル景気を謳歌した八〇年代を経て、日本型新自由主義が本格化する九〇年代、二〇〇〇年代まで。政治・経済システムの世界的変動を踏まえながら、ねじれつつ進む日本社会の自画像と理想像の転変に迫る。社会学の若き俊英が描き出す渾身の現代史、登場。

 
 まず、この手の本だと、どうしても内容が「お勉強したこと」の記述になりがちです。日本で時代ごとに話題になった本を引用し、それを欧米の学者の理論と突き合わせるといった具合に。
 例えば、鈴木謙介の『サブカル・ニッポンの新自由主義』(ちくま新書)なんて本はまさにそんな本でした。
 で、この本はどうかと言うと、確かにそういった面もなくて前半は「お勉強しました」感も強いのですが、80年代から90年代の分析に関してオリジナリティがあって、面白い議論を展開しています。


 80年代、二度の石油危機を乗り越えた日本では、深刻なスタグフレーションによって生まれ変わらざるを得なかった欧米社会と違って、企業による福祉、専業主婦のいる核家族などに支えられた正社員中心の「超安定社会」が出現します。
 この「超安定社会」を肯定的に捉え、そこに日本社会の美徳や歴史的特殊性などを読み取ったのが著者の言うところの「右バージョンの反近代主義」。一方で、その官僚制的な「安定」を嫌い、フェミニズミムによる女性の解放、マイノリティの権利を主張し、消費社会を肯定的に捉え、そこに自由を見出そうとした「左バージョンの反近代主義」。この2つの主義の対立が80年代から90年代の日本を動かし、そして90年代以降の不景気によって、それぞれが立場とする「安定」が崩壊したと著者は考えます。

 
 こう書くと、「では、左バージョンの反近代主義が勝利したのか?」と思うかもしれませんが、著者は、この「左バージョンの反近代主義」も、所詮は一家のかせぎ頭である正社員の経済的な「安定」に支えられたものであり、その「安定」がなくなれば消費主義も消滅せざるを得なかったし、この「左バージョンの反近代主義」が非正規雇用の問題を「女性の問題」と捉えたことで、格差などの問題をきちんとした政治の対立軸に位置づけることができなかったと考えます。
 このあたりの分析はある種の説得力があると思います。
 例えば、2チャンネルなどを見ると、政府や大企業よりむしろ、女性(とくに専業主婦)やマイノリティへの憎悪がうずまいているのですが、それは今の「ロスジェネ世代」が「左バージョンの反近代主義」、もっと言えば左翼全体に対して、「口では弱者救済を唱えながら弱者である自分たちに何の考慮も払ってこなかった」という鬱憤があるのでしょう。専業主婦に関して言えば、この本にも書いてありますが、今や「解放されるべき存在」ではなく、「特権階級」として見られているのでしょうし。


 処方箋についてはほとんど何も見出していませんし、著者が知っている海外との比較も欲しいですが(特に著者も留学した韓国は、日本以上に少子化、教育問題、格差社会などの課題が先鋭化している社会だと思うで、韓国との比較はぜひ読みたい)、現代の日本の状況を社会学的に分析した本として、面白い本だと思います。


現代日本の転機―「自由」と「安定」のジレンマ (NHKブックス)
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