伊坂幸太郎『魔王』

 久々の日本人作家の小説。
 伊坂幸太郎は『重力ピエロ』だけ読んだことがあって、印象はいまいち。ただ、この『魔王』は日本に出現したファシスト政治家を描いているというとこに興味を持って読んでみました。
 この『魔王』は「魔王」と「呼吸」という2つの中編からなっています。


 「魔王」は「自分が念じればそれを相手が必ず口に出す」という特殊能力を持った安藤という男が主人公で、それがファシスト的な魅力で持って政権を奪取しようとする犬養という政治家に立ち向かう話。
 安藤には弟がいて、兄弟の兄が語り手というのは『重力ピエロ』と同じ。宮沢賢治を愛読し、その詩を引用するという犬養というキャラクターは少し面白いですが、ファシズムに席巻されそうになって行く日本の姿はやや安直。また、安藤は「考える人」なのですが、その思考があまり面白くないです。
 

 というわけで、この『魔王』もいまいちかと思ったのですが、「魔王」の続編にあたる「呼吸」がけっこう面白かった。
 「呼吸」の舞台は犬養が政権を取ったあとの世界。安藤の弟の潤也は東京から仙台に引っ越して「魔王」にも出てきた詩織という女性と結婚している。そして「呼吸」の語り手はこの詩織。
 この語り手が交代して理屈っぽくなくなったところがまずいい所。
 「呼吸」では潤也にも特殊能力が出現するのですが、その特殊能力が生み出すのはたんなるお金。犬養が憲法改正国民投票を仕掛け、9条を改正しようとしている中で、潤也は何かのためにお金を貯めます。小説の最後になっても、潤也の特殊能力が時代を変えることはありません。
 けれども、この潤也の行動というのがとってもリアルな気がする。
 ファシズムの到来でも不景気でも、先が見通せない中で将来役に立ちそうなことと言えばお金を貯めることくらいしかない。それはこの時代のリアルな感覚のような気がします。
 ドゥーチェのマスターのその後とか、小説はいろいろな謎を投げっぱなしにして終りますが、強い主張を持たない詩織の存在も含めて、「魔王」より現代の姿を捉えているような気がします。


魔王 (講談社文庫)
4062761424