東浩紀『クォンタム・ファミリーズ』

 東浩紀の小説なんだけど、これは面白い!
 イーガン的な量子力学を使った多重世界を舞台に、村上春樹から赤木智弘から秋葉原事件からエロゲーからP・K・ディックから郊外論からベーシック・インカムからセカイ系決断主義から私小説的なものまで、近年、東浩紀が言及したものがすべて詰め込まれている小説。それでいて、小説としてかなりスマートにまとまっている。正直、予想以上にうまいです。
 これだけいろいろなものを詰め込んで、なおかつ、小説としてのまとまりや読みやすさを失わない小説家というと、海外だとリチャード・パワーズあたりでしょうか?
 反論も当然ありそうですが、個人的にはこの『クォンタム・ファミリーズ』を読んで、リチャード・パワーズの小説を思い起こしました。


 35歳の芥川賞候補作家の元に届いた2035年からのメール。
 そこから始まる、ありえたはずの自分、ありえたかもしれない家族、生まれたかもしれない子ども、ありえたかもしれない未来が展開するのがこの小説。
 そして、そうした物語を村上春樹の問題設定、「35歳問題」と「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」をもとにして構築しています。
 まず、「35歳問題」とは村上春樹の短編「プールサイド」で触れられている次のようなものです。

 僕は考えた。ひとの生は、なしとげたこと、これからなしとげられるであろうことだけではなく、決してなしとげられなかったが、しかしなしとげられる《かもしれなかった》ことにも満たされている。生きるとは、なしとげられるはずのことの一部をなしとげたことに変え、残りをすべてなしとげられる《かもしれなかった》ことに押し込める、そんな作業の連続だ。ある職業を選べば、別の職業を選べないし、あるひとと結婚すれば別のひととは結婚できない。直接法過去と直接法未来の総和は確実に減少し、仮定法過去の総和がそのぶん増えていく。
 そして、その両者のバランスは、おそらく三十五歳あたりで逆転するのだ。その閾値を超えると、ひとは過去の記憶や未来の夢よりも、むしろ仮定法の亡霊に悩まされるようになる。それはそもそもがこの世界に存在しない、蜃気楼のようなものだから、いくら現実に成功を収めて安定した未来を手にしたとしても、決して憂鬱から解放されることがない。(28p)

 この「仮定法の亡霊」が現実となったときどうなるのか?「仮定法の亡霊」といかに向き合うか?とうのが複雑な構成をもつ小説のテーマと言えるのでしょう。
 その多重化した世界で、「リアル」を求めて「ハードボイルド」に「決断する」のか、それとも「虚構」の中で「虚構」を受け入れて生きていくのか、このあたりは東浩紀から宇野常寛への返答とも読める感じですね。


 というわけで、まさにゼロ年代の最後に登場し、ゼロ年代を思想的に総括するような小説。
 それでいて、小説としての見せ場や面白さもちゃんとあるというなかなか盛りだくさんの小説です。たんに思想だけではなく、例えば阿部和重の『インディビジュアル・プロジェクション』を思わせるような陰謀(妄想)もあって、物語を引っ張ってくれます。


 無い物ねだりを言えば、村上春樹の問題設定を借りながら、村上春樹ほどのスケールはない点。
 村上春樹のはっとさせられるよな暴力描写とか、小説の中の「異物感」のようなものはありません。
 もちろん、そこまで望んでも仕方がないのですが、個人的にはスマートなパワーズよりも「異物感」のつまったピンチョンのほうが好きなので。


クォンタム・ファミリーズ
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