だが、やがて、そのテクストを作った法則がどんなものか分かれば、驚嘆の念を強めることとなるだろう。使える単語は半分もなく、多くの語が消された、不完全で粗末なコーパスだけを使って、結末まで不足なく書かれたのだから。
<語れぬもの>をそのまま名指すことは避けつつも、他の方法を使ってなんとか語るだけでなく、それとなく指す、連想させる、他の要素を全部挙げるなどの方法で、もっとうまく判然と語る。そんな破天荒な軽業は我々を唖然とさせ、当のテクストがナンセンスではなく<読まれうるもの>だと納得させてくれるだろうが、それでも、テクストそのものが深く読まれることはまずなかろう。ここまでくれば、ようやく分かるであろう。すべてがこれほど厳格かつ過酷な束縛のもとで書かれた訳が。(218p)
いきなり引用から始めましたが、このこの小説をずばり解説しているような文章は、「あとがき」でも「訳者解説」でもなく小説の本文の中のものです。
この引用されたテクスト自体も「厳格かつ過酷な束縛のもとで書かれ」ているわけですが、その「法則」が何だか分かるでしょうか?
帯にも書いてあることなので隠さずに書きますが、この文章、日本語の「い」の段がまったく使われていないのです。
僕はローマ字入力で打ちましたが、一度も「I」のキーを押していません。
そして、この「い」の段を使わないという法則がこの文章だけでなく、300ページを超える長編小説の中で一度も破られていないというのがこの小説の最大の秘密であり、特徴なのです。
ジョルジュ・ペレックはフランス人の小説家で、この小説はフランス語で書かれました。
だから、元の作品は「い」の段ではなく、アルファベットの「E」をまったく使わずに書かれています。
このフランス語において「E」をまったく使わないということがどういうことかということは訳者塩塚秀一郎の詳細な解説に譲るとしますが、シャーロック・ホームズを読んだ人なら「踊る人形」でホームズが「Eが英語で一番使われるアルファベットだ」ということから暗号を解くところを思い出すかもしれません(フランス語でも「E」が最もよく使われるようです)。
このようなまさに「翻訳不可能」な小説を、訳者の塩塚秀一郎はその語学力と想像力によって見事に訳した、というか語り直しました。「翻訳」という分野においても、この『煙滅』の翻訳は偉業だと思います。
ただ、これだけでは「それはすごいね」という感想で終ってしまうところです。
けれども、この小説、小説としてもけっこう面白い!
荒唐無稽な話ではあるのですが、不眠症の男アッパー・ボンの失踪から始まるこの話はミステリーとしても楽しめますし、妙に深さを感じさせるところもある。
ジョルジュ・ペレックはレーモン・クノーの実験文学集団「ウリポ」のメンバーで、その言語に対する遊びの感覚とナンセンスな笑いに関してはクノーに通じるところがあります。
国書刊行会の『あなたまかせのお話』が気に入った人はぜひ読むべきでしょう(訳者も同じですし)。
また、ペレックはユダヤ系ポーランド移民の子でもあり、この「E」の抹消という文体の裏にはホロコーストの影もちらつきます。
さらに一番大事なものが隠蔽されるというのはイデオロギーのよくあるパターンでもあります(アメリカの軍事力によって誕生した戦後民主主義とか)。
ペレックがどこまで意識していたのかは分かりませんが、次の部分などはデリダの『法の力』(あるいはその解説本)とかにありそうな文章ですよね。
我々はあるタブーから生まれたわけだが、そのタブーを遠くから眺めるだけで、深く考えることも、名指そうとすることもなかった(それはかなわぬ願望なのだ、なぜなら、その名が発せられ、書かれれば、我々へ残された言語のかすかな効果も、すぐさま無くなるだろうから)。我々の行動を定める<法>のことも、語られることはなかろう。我々は本当のことを察することもなく、安閑と世を送ってそのまま亡くなるのだ。その結果、<法>はまずますのさばることになるだろう…(238p)
ここでも「い」の段は使われていませんよね。
とにかく、これは一読の価値のある小説です。
煙滅 (フィクションの楽しみ)
Georges Perec