辻村深月『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』

「私は彼女に言いました。すべてを人のせいにして呪うなら、悪いのは高校の先生じゃない。あなたの限界を決めたのはあなたの親だ、と」
「教えてくれなかったのは、見せようとしなかったのは、あなたと同じくその世界を知らなかったお母さんたちだ、と、私は言いました」(240ー241p)

 この小説は直木賞候補にもなったミステリーですが、ミステリーというよりは女性ならではの「関係性」を描いた小説と言えるでしょう。
 この、小説で描かれる関係性の一つは山梨県という東京と微妙な距離感のある地方の女性たちの間の関係性です。
 地元の高校や短大を出た女性たちは、地元の会社に昇級の無い契約社員のような形で入社し、そこで「結婚」というゴールを目指して合コンを繰り返しています。居酒屋での合コン、ファミレスでの作戦会議、合コンのメンバーとしての人間関係、いずれも非常に閉塞的ではありますが、そこには「結婚」あるいは「東京」といった価値観が微かに見えています。
 この「微かに見えている」という点がまたやっかいで、女性たちは「適齢期」というタイムリミットに追われながら、合コンを繰り返します。

 
 そして、この小説が焦点を当てるもう一つの関係性が母娘の関係。
 以前、斎藤環の『母は娘の人生を支配する』を紹介したとき(http://d.hatena.ne.jp/morningrain/20080612/p1参照)、次のような部分を引用しました。

 多くの場合、人は基本となる価値観を、まず親を通じて学びます。この点は、男も女も一緒ですね。ただし、男性にとっての父親の影響は、娘にとっての母親の影響ほど、決定的なものにはなりにくいように思います。
 なぜなら、男性的な価値規範は、しばしば父親の頭上を越えて、普遍的なもの(言葉やシンボル)とつながっている(ようにみえる)からです。だから、父親は必ずしも絶対的な存在ではありません。父親自らが示した価値規範に照らした結果、当の父親が軽蔑されてしまうということもありえるのです。
 しかし、母親の価値規範の影響は、父親のそれに比べると、ずっと直接的なものです。母親は娘にさまざまな形で「こうあってほしい」というイメージを押しつけます。娘はしばしば、驚くほど素直にそのイメージを引受けます。この点が重要です。価値観なら反発したり論理的に否定したりもできるのですが、イメージは否定できません。それに素直に従っても逆らっても、結局はイメージによる支配を受け入れてしまうことになる。母親による「女の子はかくあるべし」という、イメージによる押しつけの力は馬鹿にできないのです。(108-109p)

 この小説で描かれるのはまさにこれ。
 主人公のみずほは、娘にさまざまな規範(「コーラは健康に悪い!」など)を押し付ける母親の元に育ち、それに反発し、東京の大学に出ます。けれども、彼女には一時的に山梨に戻っていた時期に、彼女は母親から「娘代」をもらって暮らしてた過去があります。
 その山梨で、運良く結婚相手をみつけることができたみずほは、東京へと「脱出」し、ライターとして働いています。
 一方、みずほの幼なじみのチエミは、地元の高校から短大へと進学し地元で就職。ある意味で、非常に優しく理解のある両親の元で育ちます。
 けれども、この「優しくて理解のある」母親というものこそ、非常に厄介なものなのです。
 斎藤環が述べるように、父親のことは、例えば父親の社会的地位を乗り越える事で否定する事ができます。一方、母親、特に家族の幸せをこいねがう母親を否定する事は非常に難しいです。母親の「あなたのためを思って」という心を完全に否定することなどできないからです。
 ですから、よくできた母親ほど、娘を完璧に縛り付けてしまう可能性があります。
 冒頭で引用した部分は、チエミの同僚で帰国子女で正社員の及川亜理紗がチエミを評した言葉ですが、チエミを評した言葉としてこれほど的確な言葉はありません。
 「よい母親」のもとで「よい娘」を演じていた彼女の世界は、いつの間にかあまりに小さく閉じたものになっていたのです。
 

 そんな中、チエミの母親が殺され、チエミが失踪します。
 チエミの行方を追うみずほによって明らかにされるチエミの閉塞した世界。
 「幸せな家庭」で育ち「幸せ」を求めていたチエミはいつの間にか袋小路にはまっていたのです。
 

 こんなふうに書くと桐野夏生の小説を想像する人もいると思いますし、実際、作者は桐野夏生の影響を受けているんだと思います(例えば、合コン仲間が桐野夏生がお得意の4人組ですし)。
 ただ、桐野夏生の小説と違うのは、女性のドロドロとした関係を露悪的に書くのではなく、どこか優しさを持って書いているところ。
 作者はチエミのことを登場人物をつうじて容赦なく書きながらも、あくまでもチエミに同情的です。
 そして、そのチエミに対する優しさは、語り手がチエミとなる第2部になっていっそう強くなります。
 次の部分なんかはチエミの「かなしさ」が最高に出ている部分で、読み手は主体性がなくある意味でイライラさせられるチエミに感情移入せざるを得なくなります。

 今でも、あの日の学級会を後悔している。
 私もあそこで立つべきだった。みずほちゃんと同じタイミングで、立候補、すればよかった。そうすれば何も変わらず、みずほちゃんのように、きっと今もいられたかもしれない。(330ー331p)


 ミステリーとしては、正直、真相が明らかになる過程の書き方がいまいちだと思います。(主人公が知っていて読者は知らない情報の出され方がなし崩し的)
 ただ、そういった欠点があっても、非常に面白くてすごみがあって、それでいて優しさのある小説だと思います。


ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。 (100周年書き下ろし)
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