マルカム・ラウリー『火山の下』

 僕は自分のことをこんなふうに考えてしまうのだ。不思議な島を見つけながら、そのことをこの世に伝えに帰ることができない偉大な探検家。その島の名は、地獄。
 それはもちろんメキシコではなく、心のなかにある。(47p)

 帯に「20世紀文学の金字塔」とありますが、その宣伝は伊達じゃない。
 僕はこの『火山の下』でマルカム・ラウリーの名を知りましたが、彼が若くしてアルコールに溺れ早死にしていなければ、きっと文学史にその名を残したでしょう。けれども、この『火山の下』に、彼の書きたかったことのほぼすべてが詰まっているような気もします。(彼が生前に完成させた長編はこの『火山の下』と自伝的な作品の『群青』のみ)


 この小説は、1938年11月2日の「死者の日」、メキシコの火山の麓の町クエルナバカを舞台に一人の男の破滅を描いています。冒頭の第1章だけが1939年の11月2日、つまり他の章から1年後を描いていますが、それ以外の章で描かれているのはすべて1日の出来事です。
 「領事」と呼ばれるイギリス人のジェフリーは妻イヴォンヌに逃げられ酒に溺れる毎日、そんな領事のもとに約1年ぶりにイヴォンヌが戻ってきます。ちょうどそこにはジェフリーの弟のヒューも戻ってきて、3人で闘牛見物に出かけることにする。ストーリー的にはこんなもんです。
 所々に差し込まれる「意識の流れ」的な描写、そして酒に溺れる主人公ということから、最初の印象は「ヴァージニア・ウルフフィッツジェラルド」という感じでした。ストーリーの流れよりも登場人物の心理の動きを重視する描写はウルフをはじめとする20世紀初頭のイギリスの作家に近い感じがありますし、一人の男の破滅の描き方からは連想するのはフィッツジェラルドです。また、メキシコが舞台ということでD・H・ロレンスの『翼ある蛇』なんかも思い出しました。


 ただ、ロレンスのように見果てぬ地に晋の人間らしい暮らしをもとめるようなロマン主義はこの小説にはありません。ジェフリーをはじめ、イヴォンヌ、ヒューと全員が夢やロマンに敗れた人間で、メキシコという地は3人にとって行き止まりのような場所です。
 路上で血を流して倒れているインディオ、けだるそうな闘牛の様子、火山のもとの町の描写は不吉さをたたえていて、冒頭の引用のように一種の地獄を思い起こさせます。
 そしてこの不吉さに、登場人物の内面の地獄が加わることで、小説はさらに混沌さを増していきます。
 

 この「混沌」というのが、この小説を「ヴァージニア・ウルフフィッツジェラルド」というような言葉ではくくりきれなくしています。
 登場人物たちの会話に差し込まれる観光パンフレットの文字やバーのメニュー。もはや誰がしゃべっているかもわからないような形で乱舞するセリフ。
 アルコールに溺れているジェフリーの混沌とした世界が、まさにそのまま再現されている感じです。


 ガルシア=マルケス大江健三郎が愛読しているとのことですが、それも納得の密度の濃さ。
 今回、この隠れた名作が<エクス・リブリス・クラシック>というかたちで復活したわけですが、まさに「グッジョブ!」と言いたいですね。
 ここ最近で一番手ごたえのある小説でした。


火山の下 (EXLIBRIS CLASSICS) (エクス・リブリス・クラシックス)
斎藤 兆史
4560099014