ウィルヘルム・ゲナツィーノ『そんな日の雨傘に』

 私どもの所にいらっしゃるのは、と私はためらい気味に、かつ物慣れたふうに答える、自分の人生が、長い長い雨の一日のようで、自分の身体が、そんな日の雨傘のようにしか感じられなくなった人たちですね。(113)

 この部分がタイトルの由来。
 主人公は女友達の家でおしゃべりな女性相手に、自分は回想術と体験術の研究所を主宰していると嘘をつき、その研究所の客の説明として引用したセリフを言うのです。
 そして、ここで描写されているのは主人公の姿でもあります。


 主人公は、46歳で定職につかず、新しい靴を履いてそのレビューを書くという仕事でなんとか食いつないでいる男。生活を支えてくれていた恋人にも捨てられ、社会に上手く入り込めていません。そんな人生を主人公は「存在許可のない人生」と呼んでいます。

彼女もまた許可なしの人生を行きている、と思う。ふたりで存在許可のない人生について語り合いたい、という欲求を感じる。彼女のせかせかした動作に、むりやり生かされているという感覚を幾度も味わってきた人の気まずさを感じるのだ。とはいえ、無許可人生について語らうほどの力は、いまだ自分にはないのではという気もする(59p)

 こんな煮え切らない男が主人公で、ストーリーも特に煮え切らないまま進みます。


 比較的、大きな展開の多かった<エクス・リブリス>シリーズの長編の中では、非常にこじんまりとした作品。
 ある意味、日本の純文学っぽくもあるんだけど、変に文体をひねってなく、読みやすい文章ながらなんともない人生の哀しさのようなものを感じさせるのが上手い。「佳作」という形容詞がぴったりな作品でしょうか。
 最後にこの小説の雰囲気をあらわす会話を。

きみは、退屈な人間になる勇気を持たなきゃいけない、と私は言う。
どうして?
長い間には愛も退屈になることは否定できない。
わたしにはそれは無理だわ。
どうして?
そもそも、この半生、自分は存在してないんじゃないかって思って苦しんでるんだもの。
退屈な女が一番幸せになるんだ.退屈な女たちの愛は長続きして、深い、と私は言う。
(153p)


そんな日の雨傘に (エクス・リブリス)
ヴィルヘルム ゲナツィーノ Wilhelm Genazino
4560090106