舞城王太郎『イキルキス』

 中編集で2008年発表の「イキルキス」、2002年発表の「鼻クソご飯」、2004年発表の「パッキャラ魔道」を収録。
 ふつうは表題作でもあり、収録作の中でも一番新しい作品でもある「イキルキス」に注目して感想を書くべきかもしれませんが、「イキルキス」は西暁町を舞台にしたいかにも舞城王太郎らしい作品であるものの個人的にはそれほどの作品とは思いませんでした。
 それよりも注目は「鼻クソご飯」と「パッキャラ魔道」。特に「パッキャラ魔道」は、無茶苦茶な始まりに、無茶苦茶な展開に、無茶苦茶なラストながら、なぜかそのラストで泣けるという稀有な作品。


 「鼻クソご飯」と「パッキャラ魔道」は共にトラウマが回帰し続ける話。
 「パッキャラ魔道」の主人公は、11歳の時に高速道路の玉突き事故にあう。父親の超人的な活躍もあって、彼の一家(父・母・兄の直規・僕(慎吾))は助かるのだが、それ以来、家族の何かが壊れてしまう。
 母は家族をおいて救出活動をした父を恨み、直規と僕は何かが壊れる。ちょうど、映画の『リリイ・シュシュのすべて』で星野が西表島で死にかけて以来壊れてしまったのと同じで、宮台真司なんかが言う「底が抜けた」状態。
 普通に見えながら、どこかで暴力や想像力のリミッターが外れてしまった僕と直規は、いろいろと問題を起こし、やがて母も家を捨て家族は崩壊する。
 この兄弟、特に僕の壊れ方はとてもやっかいで、母親の同棲相手の内田さんの体を張った説得などでも、僕はまっとうな生活には戻れない。
 で、家族の絆は元に戻らないまま迎えた母親と内田さんの結婚式。そこで兄の直規は歌詞の間違った『クラリネットこわしちゃった』を歌う。「パッキャラマードパッキャラマードパオパオパンパンパン、おーパッキャラマードパッキャラマードパオパオパ」と。
 

 みんなは直規に引きずられるようにしてパオパオと歌う。
 そして直規は次のように言う。

「と、どんどん状況が悪くなってんのにパオパオ歌っているこの歌で、昔は何余裕そうに歌ってんだよと思ってましたが、今考えてみるに、一生懸命生きることととにかくとりあえずパオパオ歌ってみることにどういう違いがあるんでしょう?違いはありはしない。僕たちは苦しみ悲しみ泣きながらパオパオパンパンパンと歌って踊るんです。それが一生懸命生きることなんです」

 このシーン、家族や僕の問題が解決しているわけではないんだけど、とにかく泣ける。
 

 舞城王太郎は「世界は密室でできている。」で、トラウマの読み替えを行って見事にトラウマからの脱出経路を示しましたが、そううまくいくものではないということも同時に思っていたのでしょう。
 この「パッキャラ魔道」にしろ「鼻クソご飯」にしろ、最後までトラウマは消えません。そんな消えないトラウマを抱えて人はどう生きることができるのか?それを荒削りながら示しているのが、舞城王太郎の小説です。
 明らかに「書き過ぎ」ですし、もっとシンプルに問題を描くこともできるような気はするのですが、この「饒舌な足掻き」がトラウマに飲み込まれないための方策なのかもしれません。


イキルキス
舞城 王太郎
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