ガザニガ『人間らしさとはなにか?』による「近親相姦はなぜタブーか?」

 分離脳の研究の第一人者であるマイケル・S. ガザニガが、専門脳科学だけにとどまらず、発達心理学認知心理学、進化生物学、人工知能研究など様々な知見を元に「人間のユニークさ」を探求した本。
 600ページを超える大著で目次はこんな感じ。

はじめに:人間はなぜ特別なのか?

■ Part 1 人間らしさを探究する
●1章 人 間 の 脳 は ユ ニ ー ク か ?
科学で知られている最も複雑な存在・・脳の大きさを決める調節遺伝子
・・特化した脳の構造・・ほか

●2章 デ ー ト の 相 手 に チ ン パ ン ジ ー ?
チンパンジーとデートできる?・・よく似たDNAでも大きな違い
・・人間ならではの肉体の変化とは?・・異なる種で思考はどのように異なるか?
・・コミュニケーション・言語・ミラーニューロン・・ほか


■Part 2 ともに生き抜くために
●3章 脳 と 社会 と 嘘
二度と行かないレストランでなぜチップを置くのか? ・・社会脳仮説
・・社会集団の大きさと脳の大きさ・・一五○人という集団サイズ
・・だましの駆け引き・・社会的遊びと脳のサイズの関係は?・・ほか

●4章 内 な る 道 徳 の 羅 針 盤(モラルコンパス)
人はなぜ基本的に善良なのか?・・生得の倫理プログラム
・・ネガティブな情動に影響されるわけ・・道徳的判断の神経生物学
・・狩猟採集に対応した「脳のモジュール」・・五つの道徳モジュール
・・知能と抑制の関係・・道徳と宗教・・動物に道徳観念はあるか?・・ほか

●5章 他 人 の 情 動 を 感 じ る
理論説とシミュレーション説・・不随意の身体的な模倣----物真似マシン
・・情動の伝染・・自分の身体に敏感なら、他者への共感も強まる?
・・動物は共感するか?・・我思う、ゆえに我再評価しうる
・・想像力と予測・・「私」と「あなた」を区別する仕組み・・ほか


■Part 3 人間であることの栄光
●6章 芸 術 の 本 能
芸術は人間ならではのものか?・・禁断のトピック
・・美の生物学的な根拠:美の好みを、ほかの動物と共有しているか?
・・チンパンジーは芸術家?・・美は刺激ではなく、処理のプロセスに宿る
・・音楽はどうなのか?・・ほか

●7章 誰 も が 二 元 論 者 の よ う に 振 る 舞 う
心と体は別という信念・・直観的生物学・直観的物理学・直観的心理学
・・脳の中の大きな隔たり・・動物は二元論者か?
・・クロマニョン人と象の場合・・意見や好みを作る「内省的な信念」・・ほか

●8章 意 識 は ど の よ う に 生 ま れ る か ?
意識は物理的に説明できる?・・意識の神経解剖学
・・非意識から意識への選択的プロセス・・二つの脳半球から一つの意識が生まれるわけ
・・「自己」は位相変化によって生まれる・・動物は自分が何を知っているかを考えるか?・・ほか


■Part 4 現在の制約を超えて
●9章 肉 体 な ど 必 要 か ?
ファイボーグ・・体と脳の電気的性質・・BCI技術の発達ーーゲームへの応用まで
・・スマート・ロボットは、ジョニー・デップになれるか?・・思考する「心」を創る
・・意識ある機械はできるか?・・脳は問題への答えを計算しない・・遺伝子を操作する・・ほか

あとがき:決定的な違い 

 このようにあまりにも広い分野をカバーしている本でそのすべてを紹介することはできないので、ここでは近親相姦の議論をとり上げてガザニガの考えの一端を紹介します。


 近親相姦は人類に広く見られるタブーで、その根拠として古来より様々なことが言われてきました。ただ、その一方でどこからが近親婚かというのは文化によってかなり幅があり、日本では古代より天皇家や貴族の間で異母兄妹の結婚が繰り返されるんど、かなりゆるい文化圏もあります。
 ただ、同じ母を持つ兄妹が姉弟が結ばれることをタブー視することは広く人類に共有されているようです。


 そんな近親相姦について、この本ではヴァージニア大学の心理学者ジョナサン・ハイトによる次のようなエピソードが提示されています。

 ジュリーとマークという姉弟がいて、大学の夏休みに、いっしょにフランスを旅していた。ある晩、海辺のロッジに二人きりで泊まった。ものは試し、セックスするのもいっきょうということになった。少なくとも、それまでにない経験ができる。もともとジュリーは避妊薬を飲んでいたが、念のためにマークもコンドームを使った。二人とも楽しんだが、もう二度としないと決め、その晩のことは特別の秘密とした。そのおかげで、二人はなおさら親密になった。(167p)

 この話をしたあと、ハイトは学生にこの行為が間違っているかどうかを訊き、さらにその理由を尋ねます。ほとんどの学生はこの行為に不快感を示し、「奇形児が生まれる」、「互いの気持ちが傷つく」といった「理由」を述べます。
 ところが、エピソードを読み直せばわかるように、二人はしっかりと避妊をしていますし、互いの気持ちも傷ついてはいません。
 このことをハイトが指摘すると、学生の多くは「わかりません。説明はできないのですが、ただ、いけないことだというのはわかるんです」と答えるのだそうです。


 これはガザニガの『脳の中の倫理』(マイケル・S. ガザニガ『脳の中の倫理』と道徳の「本能」 - 西東京日記 IN はてな参照)で述べられていたことにもつながりますが、ガザニガによれば人間の道徳的判断というのは、まず直感的な判断があり、あとからその理由が考え出されるらしいのです。
 そして、これは道徳的な判断にとどまらず、人間のさまざまな判断においてなされていることです。
 ガザニガは、脳梁が切断され左右の脳のつながりが無くなった分離脳の患者に対して次のような研究を行ないました。
 患者の右の視野にニワトリの足を、左の視野に雪景色の絵を見せ、そこから連想する好きな絵を選ばせました。そうすると、患者は右手でニワトリの絵を、左手ではシャベルの絵を選びました。理由を尋ねると「ああ、単純なことです。ニワトリの爪はニワトリのものだし、ニワトリ小屋を掃除するためにはシャベルが必要なので」(415p)。
 左脳は右手で選んだ絵については明確に説明できましたが、右脳が選んだシャベルの絵については選んだ理由が左脳には分かっていませんでした。そこで、左脳は瞬時に奇妙な理由をでっち上げたのです。


 ガザニガはこのような判断について次のように述べています。

私たちの意識ある脳は「知る必要がある」という基準で機能する。兄弟姉妹が性行為をしており、それが間違っていることさえ知ってればいい。「どうしてそれがいけないのか」と問われると、話はおもしろくなる。ここにきて、あなたは「解釈装置」、すなわち意識的な推論システムを働かせる。(170p)


 ちなみに、現在の研究によれば、「人間は血縁関係にある者を外見などで反射的に見分けられないため、近親相姦を防ぐ先天的なメカニズムを発展させた」(168p)とのことで、そのため「幼年時代に長い時間を共有した人との性行為に関心がなくなったりそれを嫌悪したりするようになる」(168P)そうです。
 そして、研究によれば「異性の兄弟姉妹と同じ家に住んだ年数が長い被験者ほど、第三者による近親相姦をより道徳的に罪深いと考えた」(169p)とのこと。
 つまり、近親相姦のタブーにおいても、まず本人にも意識できない直感的な判断があり、それから理性による理由付けがあると考えられます。


 とにかく、この本には他にも面白いトピックが満載。かなりのボリュームですが、刺激を受け続けることの出来る本です。


人間らしさとはなにか?―人間のユニークさを明かす科学の最前線
マイケル・S. ガザニガ Michael S. Gazzaniga
4772695184