細澤仁『心的外傷の治療技法』

 http://d.hatena.ne.jp/morningrain/20080808/p1でとりあげた『解離性障害の治療技法』の続編とも言える本が、同じみすず書房から登場。
 「続編」と書きましたが、タイトルからすると「解離性障害」と「心的外傷」なんだから別のことを扱っているんじゃないかと思う人もいると思いますし、PTSDに関する概論のようなものを期待する人もいると思います。
 けれども、この本に概論とか「治療技法」を期待するのは間違い。この本も前作と同様に、著者が心的外傷をもつ患者(その中には解離の症状を示す患者も多い)と格闘し、「生き残った(surviveした)」記録とみたほうがいいでしょう。
 前作で強烈な印象を残したSMの嗜好を持つ女性「症例G」のその後もフォローされており、10年にも渡った「治療」のひとつの終結点をみることもできます。


 この「症例G」は、完全に治療者も病状の一部として取り込まってしまっているような例で、素人目には「よくもここまで続けたものだ…」というふうにしか思えないところがあります。
 この本の前半で著者はフェレンツィの「大実験」について述べ、その意義について分析していますが、まさにこの「症例G」はフェレンツィの「大実験」を思わせるものです。
 フェレンツィの「大実験」とは、自分の時間を好きなだけ患者に与え、治療者が患者のニーズにできるだけ応えるというもので、患者が「万能的母親」を体験するようなものです。ふつうの精神分析ではこのような技法は患者の退行しか生み出さないと考えられていますが、フェレンツィはそのレベルまでいかないと治療できない患者がいると考えたのでしょう。
 このような深いレベルでの患者との交流は、「外傷の再演」になる危険性も大きいですが、フェレンツィも著者もその危険性を知った上で、そこに心的外傷の問題を解決する鍵を見ているのです。


 ですから、「心的外傷の治療技法」を解説した本としてはこの本はどうかと思います。著者の行った治療はかなり特殊であり、一般化できるものではないからです。
 けれども、深いレベルでの患者との交流が生み出す迫力のようなものがこの本にはあります。
 例えば、次のある患者の死について書かれた「症例F」がその代表的なものです。

 あるとき、Fはいつもの不安定な様子とは異なり、極めて落ち着いた雰囲気でやってきた。そして、静かに、しかし、きっぱりと「死ぬことに決めました」と言った。私はこのとき、彼女は確実に死ぬと思った。それを回避するために自分にできることは何もないと思った。私は強い絶望感と無力感を体験していた。そのとき、私はふと今私が体験している強烈な絶望感と無力感こそ、彼女が常に抱えているもので、私にわかって欲しいものなのだろうという理解が生じた。私は、Fに「あなたは死を決意したようだ。それに対して私は何もできそうにありません。今、強い絶望感と無力感を体験しています。ひょっとして、今私が体験している感情は、あなたが体験してきたものかもしれません。それをあなたは私に伝えたかったのかもしれません」と伝えた。彼女はしばらく沈黙して、何ごとかを考えているようだった。その沈黙はリラックスしたもので、彼女は安心したように見えた。彼女は次の予約を確認して帰った。私は彼女が再び私の前に現れるだろうかという不安を強く感じていた。しかし、彼女は予約の日にやってきた。その回、彼女は前回の面接の後、妹に泣きながら「初めて先生にわかってもらった」と電話したことを報告した。また。ポジティブな意味合いを持つ近い将来の予定に関して話した。そして、いつものように次回の予約を確認して彼女は帰っていった。
 その日の夜に、警察からの電話で、Fがビルから飛び降り危篤状態であることが知らされた。翌日、彼女は息を引き取った。(112ー113p)

 

心的外傷の治療技法
細澤 仁
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