中田整一『トレイシー』

 サブタイトルは「日本兵捕虜秘密尋問書」。
 「トレイシー」とは、第2次大戦中にアメリカがカリフォルニアに作った日本兵捕虜のための尋問施設で、壁に盗聴設備を埋め込むなどして、徹底的に捕虜から情報を得ようとしてつくられています。
 そしてその結果得られたのが、プロローグに掲載されている皇居や三菱重工名古屋発動機製作所の詳細なスケッチ。さらに日本軍の軍事用語や暗号、諜報活動の実態など、様々なものに及びます。


 第2次大戦ではアメリカは日本に対して圧倒的な物量で優位に立ちましたが、この本を読むと情報量でも圧倒的な優位に立っていたことが改めてわかります。
 施設の面でももちろんですが、例えば次に引用する、アメリカ海軍の日本語話者の育成プログラム。

 一日に十三時間、授業は全て日本語で行われ、学校では英語の使用は禁止された。映画、読書、ラジオなども日本語のものしか許されなかった。講座が終了したときには、ほとんどの学生は、約千八百語の漢字の読み書きができ、口頭で使える語彙は約七千語に達していた。講義の最後の二週間は、日本の陸・海軍の軍事用語の特訓を課した。
 当初海軍日本語学校では日本語の習得まで二、三年はかかると見られていた。ところがわずか十二ヶ月で大きな成果が上げることができた。(61p)

 こうしたアメリカのシステマティックで徹底的なやり方を見るだけで、長期戦ではまったく勝ち目がなかったということがわかりますよね。


 また、「生きて虜囚の辱を受けず」との戦陣訓を叩き込まれたはずの日本兵が、捕虜となると意外にも軍事機密をぺらぺらとしゃべった言われていますが、これはこの本でも確認できます。
 「捕虜になるな!」と命じられていただけで、「捕虜になったらどうするか?」という指示を受けていなかったことがやはり大きな原因でしょう。捕虜になってしまった時点で、もはや「日本に帰れない」と思ってしまうことが、逆にアメリカに情報を渡すことの心理的ハードルを下げてしまっていることが窺えます。
 このリスク管理については、今でも日本は苦手ですね。


 と、なかなか面白い要素の詰まった本なのですが、これがもうちょっと具体的な戦局やアメリカの作戦と絡めてあったらさらに面白かったと思いましす。
 一つ一つのエピソードはよく取材してあると思うのですが、そのつながり、その背後に隠された意図といったものについてはあまり語ってくれません。
 もちろん、それこそ軍事機密になりますしアメリカ側の史料のさらなる探査が必要になるわけですが、個人的にはそこまで踏み込んでもらいたかった気がします。


トレイシー 日本兵捕虜秘密尋問所
中田 整一
4062161575