ペール・ペッテルソン『馬を盗みに』

「ぼくら、馬を盗みに行くんだ」
1948年、スウェーデンとの国境に近いノルウェーの小さな村で、父さんと過ごした15歳の夏…そこから50年余りを経た 1999年の冬、人里離れた湖畔の家で一人暮らす「わたし」の脳裏に、消えた父との思い出が鮮明によみがえる。
ノルウェーを代表する作家による、みずみずしくも苦い青春―老境の物語。40以上の言語に翻訳された世界的ベストセラー。

 というのが、帯に書かれたこの小説の説明。
 出だしは少年の人夏の思い出を回想するというヘルマン・ヘッセを思わせるような王道的な小説です。
 主人公のトロンドは、親友のヨンと他人の牧場の馬を勝手に乗るという、彼らに言葉だと「馬を盗む」という行為をしにでかけます。何故かいつもと様子が違うヨン。
 実は前日にヨンが不用意に置いておいた銃で、弟のラーシュが双子のオッドを誤って撃ち殺すという痛ましい事故が起きていたのです。
 ここから、少年時代の夏の日に大きく変わってしまった二人の少年の運命を描くのか思いきや、この小説はだんだんと不思議な展開を見せていきます。


 親友ヨンの身に起こった衝撃的な事件は次第にその存在を薄め、この後に起こる父の失踪がクローズアップされてきます。この父は非常に謎めいた存在で、まるでポール・オースターの小説に出てくる父親のようです(もっともこの翻訳はノルウェー語からではなく、英語からの重訳なのでそのせいもあるのかもしれません)。存在は巨大だがその輪郭ははっきりとしない父。そんな父の秘密と、父の失踪による「喪失感」。
 父の秘密第2次大戦中のドイツ占領下のノルウェーレジスタンス活動にもつながり、少しベルンハルト・シュリンクの『朗読者』を思わせるような部分もあります。
 また、実は主人公は3年前に自動車事故で妻を亡くしていて、現在のパートでも大きな喪失感を抱えています。
 「何かが決定的に失われた」、そんな主人公の思いと共に、その決定的な瞬間を探るように小説は進みます。
 主人公の娘がディケンズの『デイヴィッド・コパーフィールド』について次のように語る場面は、主人公の置かれた状況をまさに表していると言えるでしょう。

「『わたしがわたしの人生の主役となれるのか、それともその座は誰かほかの人のものになるのか、これからのページが明らかにすることだろう』」
 娘はまた微笑んで言う。「この出だし、ちょっと怖いなっていつも思ってたの。だって、自分の人生の主役になれない可能性が存在するってことじゃない。そんな恐ろしいこと、どうやったらありうるのかしら。幽霊みたいな人生じゃない。」(211p)

 
 ある意味で、主人公は「幽霊みたいな人生」を送っています。「喪失」の決定的な瞬間を探す追憶の度は空転を続けます。
 しかし、作者は最後に一つの答えを用意しています。
 この小説の中では巨大な父の存在によって脇に追いやられていた人物のエピソード。そこに喪失の中にある、ちょっとした明るい光が見えます。
 王道的に始まって、奇妙な展開を続け、まるで短編小説のように終わる。非常に不思議な読後感を残す小説と言えるでしょう。


馬を盗みに (エクス・リブリス)
ペール ペッテルソン 西田 英恵
4560090130