『ノルウェイの森』

 遅ればせながら見てきました。
 もともと村上春樹は評価するものの、15年くらい前に読んだこの『ノルウェイの森』はあまり好きではなく、細かい部分はほとんど忘れた状態で映画を見ました。
 まず第一の印象は非常にきれいに撮れている映画だと言うこと。60年代後半の東京の様子、直子と過ごした草原など、とてもきれいな画です。
 ところが、その中で直子だけがきれいに撮れていない。というか、たぶん監督が意図的にきれいに撮っていない。もちろん19や20の直子を20代後半の菊池凛子が演じること自体にも多少無理があると思うのですが、それにしても肌の張りのなさとか生気のなさは意図的としか思えない。もともと、直子と直子のいる療養所は原作でも「死」を象徴するものとはなっていたと思うのですが、映画の直子は象徴どころか、もはや「死んでいる」。ひどい言い方をすればゾンビのようにも見えます。


 対照的に緑は原作から受ける印象よりも生き生きとしてかわいい。
 ただ、僕が原作を読んだときこの作品にノレなかったのは、緑がぜんぜん魅力的に思えず、うざいおばさんキャラにしか見えなかったから。そして映画の緑役の水原希子はとてもかわいいけど、やっぱりどこかしらうざい。そして原作では感じなかったけど直子もまたうざい。そしてそのうざさを誘発しているのがワタナベのはっきりとしない態度。そういった構図が見えてきました。


 多くの人が言及しているこの映画の見せ場とも言っていい、ワタナベ、永沢さんハツミさんの食事のシーン。
 映画はここでハツミさんの表情に焦点を当て、その厳しさを画面いっぱいに見せるわけですが、このあたりには監督のワタナベへの批判みたいなものを感じました。もちろんここでは永沢さんも批判されているわけですが、ハツミさんがワタナベをじっと見続けることで、世界に半分しか参加していないようなワタナベへの批判というニュアンスが強く出ていたと思います。


 ただ、時間の関係もあったとはいえ、レイコさんのエピソードがごっそり削られていたのは残念。
 ぱらぱらと原作を読み直して思い出しましたが、レイコさんの過去のエピソードはこの小説の中でも個人的に最も好きな部分(特にレイコさんがピアノを教える女の子エピソードは、こののちの村上作品の「悪」そのものの描写に通じるものがあって、『ノルウェイの森』の小説の中でも異彩を放っています)。
 レイコさんのエピソードが削られたことで、ラストのレイコさんがたんなる危ない人みたいになってしまったことは残念です。


 『ノルウェイの森』をきれいに映像化しつつ、どこかしら監督のトラン・アン・ユンの刺も入っている。そんな映画に思えました。


ノルウェイの森 上 (講談社文庫)
村上 春樹
4062748681


ノルウェイの森 下 (講談社文庫)
村上 春樹
406274869X