サーシャ・スタニシチ『兵士はどうやってグラモフォンを修理するか』

 これから起きることはあまりにも非現実的で、架空の物語を語るための非現実性は、もう存在の余地もないほどだ。(261p)

 この部分を読んだのはちょうど地震が起こる前の日。読んだ時も非常に印象深い言葉でしたけど、地震津波のあまりにも非現実的な映像を見た後だとさらに心に迫ってきます。
 けれども、本当に物語を語る非現実性の余地がなくなったしまうならば、文学は戦争や天災の前で沈黙してしまうしかありません。そんな中でこの小説は、作者のスタニシチが「非現実的な現実」の前で、何とかして「物語」の余地をひねり出そうとしたものです。


 サーシャ・スタニシチは1978年、旧ユーゴスラビアボスニア・ヘルツェゴビナの都市ヴィシェグラードの出身。「ボスニア・ヘルツェゴビナ」という名前を聞いてピンと来た人も多いでしょうが、スタニシチが直面した「非現実的な現実」とは旧ユーゴでの民族紛争です。特にヴィシェグラードはセルビア人による「民族浄化」が行われた場所としても知られており、紛争が起こる前はイスラム教徒のボシュニャク人(ムスリム人)が多数派でしたが、紛争の中で3000以上が殺されたと言われており、現在はセルビア人が多数派となっている街です。
 演説の名人でユーゴの共産党の中でも活躍したスラヴコおじいちゃんを中心とした主人公のアレクサンダルの一家には、セルビア系の父とボシュニャク人の母がいる。おそらく当時のボスニアではごくありふれた家族だったはずの一家は、こうした家族内の民族構成の問題で紛争が始まると地下へ隠れ、そして国外へ脱出、ドイツへ移住することになります。
 この主人公のアレクサンダルのプロフィールは作者のスタニシチのものと重なるもので、スタニシチもボスニアからドイツへと逃れ現在は母語ではないドイツ語で創作活動を行っています。


 この小説はそんな自伝的な作品でもあるわけですが、冒頭にも引用したように、スタニシチの体験した民族同士の憎しみあい、暴力、砲撃、民族浄化といったものはあまりに非現実的でそのままでは物語として語ることは出来ません。
 そこでスタニシチは物語に一種のファンタジーの要素を取り込むことで、なんとか物語を成立させようとしています。
 スラヴコおじいちゃんからもらった魔法の杖、4頭の雄牛が家の壁をぶち抜いて作った新しいトイレ、戦場で行われる奇妙なサッカーなど、物語はファンタジー的な「非現実」を取り込みながら進みます。少年の身でボスニア紛争を経験したスタニシチ、彼は懸命に民族紛争の「現実」を「非現実」で装飾しようとするのです。


 このあたりは同じユーゴの作家ダニロ・キシュにも通じるものがあります。20世紀文学の屈指の名作というべき『砂時計』を紹介する帯に若島正が次のような文を載せています。

 『砂時計』には、現実に書かれた一通の手紙が取り込まれている。その手紙の中に封印された、歴史的事実の重みを前にして、わたしたち読者は打ちひしがれるが、それと同時に、そのまわりに複雑な虚構の迷宮を築かずにはいられなかった、作者ダニロ・キシュの不屈の精神にも圧倒されるのだ。

 キシュはセルビア北部の町スボティツァでユダヤ人の父とモンテネグロ人の母に生まれ、ユダヤ人であった父は1944年にアウシュビッツに送られ消息を絶ちました。その父の残した手紙を中心につくりあげられた『砂時計』はまさにキシュの作り上げた「迷宮」であり、「非現実的な現実」を語るための格闘のあとです。
 そのキシュと同じことを、もっとファンタジックに、もっとセンチメンタルにやってみせたのがこのスタニシチの『兵士はどうやってグラモフォンを修理するか』と言えるのかもしれません。


 けれども、キシュの身に起こった悲劇が50年弱の年月を経て再びスタニシチの身に起こっていることが何ともやりきれないところ。
 牧歌的な家族の姿を美しく描く両作家の故郷が、同じように破壊されてしまったことに対してなんとも言えない気持ちになります。
 スタニシチはこの物語の終盤でこんなふうに語っています。

よい物語とはぼくらのドリーナ川のようなものだ、とおじいちゃんは言ったね。決して静かな小川ではなく、流れは途切れず、激しく、川幅は広く、いくつもの支流が加わって豊かさを増し、岸へと溢れ、ごうごうと音を立てて渦巻き、そこここに浅い箇所があるけれど、それは決して無意味な水溜りではなく、深みへの前奏曲として渦巻く速い流れなんだ、と。けれど、ドリーナ川にも物語にも、できないことがひとつだけある。どちらも後戻りすることができないんだ。水は引き返すことができないし、ほかの川床を選ぶこともできない。ちょうと、どんな約束もいま、結局は守られないのと同じように。溺れ死んだ者が浮かび上がって、タオルはないかと訊いたりはしないし、結局愛などないし、煙草屋の主人だって最初から生まれてこなかったことにはできないし、撃たれた弾は首から銃へと戻ることはできない。(391p)

 作者の組み上げた「非現実」がだんだんと「非現実的な現実」に侵食されていくこの小説は出だしとは違って決して楽しいものでも明るいものでもないけど、ここには「非現実的な現実」に何とかして抵抗しようとする文学の姿があります。
 とりあえず、今は地震という「非現実的な現実」を受け止めるしかないのだろうけど、やがてそれに抵抗する文学が日本でも生まれてくるのかもしれません。


兵士はどうやってグラモフォンを修理するか (エクス・リブリス)
サーシャ スタニシチ 浅井 晶子
4560090149


砂時計 (東欧の想像力 1)
ダニロ・キシュ 奥 彩子
4879842486