ジュノ・ディアス『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』

 主人公のオスカー・ワオはドミニカ系の青年ながらいわゆる「オタク」でデブで全くといっていいほど女性にモテない残念な主人公。アメコミからテーブルトークRPGの『ダンジョンズ&ドラゴンズ』、そしてアニメの『AKIRA』、さらにはガッチャマンアメリカ版である『Battle of the Planets』など、膨大なオタク文化が引用されて語られる物語の前半は、「オタク青春もの」といった趣です。
 同じようにアメコミなどを引用しつつ、主人公の成長を描いた小説としてはジョナサン・レセム『孤独の要塞』がありますが、オタク濃度はこちらの『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』をほうが圧倒的に濃くて、しかもギャグとしても効いています。

 
 ところが、この小説にはもうひとつの顔があって、それはドミニカを31年間にわたって支配したラテンアメリカにおける最悪の独裁者ともいえるラファエル・トルヒーヨの所業と、トルヒーヨ支配下のドミニカを描くこと。
 このトルヒーヨに関しては、バルガス=リョサも『チボの狂宴』で描いているのですが、どうもジュノ・ディアスにとってはリョサの描き方が気に入らなかったらしく、小説の中でもリョサへの当てこすりが出てきます。
 『チボの狂宴』は未読なので、実際のリョサの描き方のどこに問題があるのかというのかはわからないのですが、想像するに、リョサはトルヒーヨを「人間」として描き出そうとしたのではないかと。
 それに対して、この小説ではトルヒーヨとその取り巻きを一種の「怪物」として描き出そうとしています。
 

 ですから、前半のオタク文化への過剰な言及というのは、「怪物」の登場を準備するためのものとも言えそうです。
 トルヒーヨの恐怖、そしてそのイカレっぷりは人間離れしており、それはまさにファンタジーやSFやマンガの中にしかいないような「怪物」であり、トルヒーヨは『指輪物語』におけるサウロンのようなものなのです。
 けれども、きちんとしたリアリズムで書かれた小説にいきなりサウロンを登場させることは出来ません。『ダンジョンズ&ドラゴンズ』について語った迷路を抜けた先に、はじめてサウロンを登場させることができるのです。


 というふうにかなり考えぬかれた仕掛けをもっている小説なのですが、読んでる最中は難しいことを考えずに楽しめる小説でもあります。
 オタク文化を絡めた数々の比喩は冴えてますし(『AKIRA』の金田や鉄雄を使った比喩には思わずニヤリとさせられます)、主人公の祖父から続く家族の因縁話はフォークナーの現代版のようでもあります。


 ただ、多少疑問の残るところもあります。
 一つはこの小説の語り手が誰なのかという点。一応、オスカーの姉のロラのボーイフレンドでもあり、オスカーのルームメイトでもあったユニオールが物語の語り手なんですけど、じゃあロラが自分の物語を一人称で語っている部分はどうなってるんだ?というところ引っかかります。
 かなり特殊で印象強い文体を使っているので、そのあたりが気になります。
 また、読み終わって思ったのは、トルヒーヨももちろんイカレているけど、同じようにマッチョなドミニカの男社会もイカレていて、この物語で告発すべきなのはむしろそっちなんじゃないかということ。
 オスカーがひどい目にあうのは、この本では「トルヒーヨの呪い(フク)」ということになっていますが、ドミニカの多くの女性と同じように、オスカーもマッチョな男社会の犠牲者であるのではないでしょうか。


 ただ、基本的に面白い小説ですし、オタク的な教養があればあるほど楽しめる小説でしょう。


オスカー・ワオの短く凄まじい人生 (新潮クレスト・ブックス)
ジュノ ディアス Junot Diaz
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