盛山和夫『社会学とは何か』

 非常に緻密な議論を自信満々に繰り広げる盛山和夫が「社会学」そのものに挑む!
 これだけで社会学をそれなりに追ってきていた者としては興味深いものなのですが、まさに期待通りの出来。デュルケムからジンメルパーソンズルーマンといったビッグネームをバッサバッサと斬っていきます。

 「社会学とは何か」が問題となる。それはなぜか?
 ある意味で理由は単純だ。さきにみたように、あまりにさまざまな社会学がありすぎるのである。たとえば、介護問題に関して高齢者にインタビューすることとルーマンの抽象的で解読困難な分厚い本を読むことと、いったいどこでつながっているのだろうか。(245p)

 このようにその発展と共に拡大を続け同時にその学問としてのアイデンティティが希薄になっている社会学、例えば、同じ社会科学である経済学などと比べると、研究対象、方法論とも曖昧としか言いようがありません。
 「社会はいかにして可能か?」「秩序はいかにして可能か?」といった社会学の問いに対して、さまざまな社会学者がその解答を考えてきました。
 しかし、盛山和夫はその多くが「秩序はいかにして可能か?」という問いに潜む、「経験的な問い」と「規範的な問い」の2種類の区別を見逃してきたと考えます。
 盛山和夫ジンメルの「経験的に社会が成立している」ことを前提としていることを批判して次のように書きます。

 なぜなら、「経験的に社会が成立している」とはいったいいかなる事態のことを意味しているのかがまったく詰めて考えられてはいないからだ。一般的にいって、社会の中にはテロもあれば差別もある。大戦争や大虐殺もありうる。ジンメルの問いは、それらもふくめて「社会」と考えているのか、それともそれらを除外した上での「社会」を問題にしているのか、分からないのである。(86p)

 

 また、もう少し身近な例としてつぎのようなことも言っています。

差別が生じていることに気づかないときは、人は「よく秩序づけられている」と考えるものだ。それはやむをえない。しかし社会学者としては、差別が存在している状態であるにもかかわらず、「よく秩序づけられている」とみなしてはいけない。(87p)


 「社会を考える」ということは常に「どんな社会が望ましいか」という規範的な問いを含まざるを得ません。
 なぜなら「社会」とは意味的に構成された理念的なものであり、「モノ」のように客観的に実在するものではないからです。
 しかし、社会学は今まで「規範的な問い」にはあえて触れず、社会を「斜めから見る」態度、つまりできるだけ社会から距離をとって客観的に社会を見ようとしてきました。
 盛山和夫はこうした社会学の営みに対し、レイベリング論などについてはある程度評価しつつも、社会学者も社会の内部に位置せざるをえないこと、社会から距離を取るだけでは「規範的な問い」に答えられないことを指摘し、「共同性」の内実とあるべき姿こそ社会学の共通の目標となりうるものだと主張しています(第10章)。
 

 特に「規範的な問い」をあつかったものとしてロールズをはじめとするリベラリズムの議論に注目している第9章は興味深いです。
 「規範的な問い」を避けてきた社会学に対して、リベラリズムはまず規範的な主張を打ち出し、あるべき社会の姿について論じました。
 これに対しては、マッキンタイアやテイラー、サンデルといったコミュタリアンはロールズが想定する個人を「負荷なき自己」(サンデル)として批判しましたが、盛山和夫に言わせれば既存の秩序や価値を所与のものとして受け入れる点で、コミュタリアニズムと古いタイプの社会学は似ています(コミュタリアニズムには著名な社会学者のR・ベラーなども加わっている(226p))。
 しかし、コミュタリアニズムはしばしば現状追認的になりがちです。「社会に埋め込まれた自己」から出発する限り、社会の現状を超えた規範原理を打ち出すことはなかなかできません。
 そして、これは社会学の問題でもあります。コミュタリアニズムを批判したあと、盛山和夫は次のように述べています。

 これはまさに、かつて社会学が陥った道である。地位と役割のセットを通じて社会に統合されている諸個人。社会のしくみや構造を基本的に当たり前のものとして受け入れて、それらによって規定されている生き方を歩んでいる諸個人。社会に埋め込まれた自己という考え方だけからだと、そうした個人像しか描けないのである。(229p)

 

 このようにスリリングな議論が展開されるこの本は社会学、そして広く社会科学に興味がある人にオススメです。
 ただ、問題は盛山和夫があまりにも自信満々に論じているところかもしれません。例えば、ルーマンなんかも次のようにあっさり斬っています。

いってみれば、ルーマンはみずからを「神の視点」に置こうとしているのである。あたらしい神学の構築。それがルーマンの企図だといっていい。しかし、むろん、それが成功しているとはとうてい言えないし、成功する可能性はない。(216p)

 「成功する可能性はない」なんて断言しちゃっていいのかと思いますし、彼のルーマン解釈もどうなのかと思うところもあるのですが、この断定口調には思わず説得させられそうで、そこがこの本の怖いところでもあります。


社会学とは何か―意味世界への探究 (叢書・現代社会学)
盛山 和夫
4623059464