ある日、地球上のありとあらゆる動物たちが、何かに導かれるかのように不思議な行いをとりはじめる。家を離れた飼犬たちはどこへ向かっているかもわからぬまま走り出し、海じゅうの鯨たちは恍惚と踊り、ゲージのなかの雌鶏や機械に吊された雄牛、食肉工場の雄豚までもが、つかのま希望の幻影を見る。人間には聞こえない“呼びかけ”のもと、動物たちは本能のままに、ひとつに結ばれようとしていた―大学の実験室で去勢され、臓器を抜かれ、残酷な実験の末に気が狂い、人間レベルの知性を持ってしまった鼠「ドクター・ラット」ただ一匹を除いて。1976年に発表され、センセーションを起こして以来、長らく翻訳が待たれてきた、グロテスクで美しい幻の寓話がついに登場!すべてが動物たちの一人称で語られる、超問題作。世界幻想文学大賞受賞。
動物たちが人間に反乱を起こす。このテーマ自体は今までなんども思いつかれたもので、それほど人を驚かすようなものではないです。それでも、この『ドクター・ラット』の描き方には圧倒的なものがあります。
胃袋を取り除いて食道と十二指腸をつながれたラット、たえず不適切な食事を与えられているラット、お腹にプラスチック製の窓を挿入されて胎児の様子が見えるようになっているラット、ゲージの中を延々と走らされている犬。そんな目的もよく分からない動物実験が行われている研究室で、その様子と「科学的な意義」を報告してくれるのが、実験の末に狂ってしまい人間のような知性を身につけたドクター・ラット。彼は無意味に苦しめられ、死んでいく仲間のラットたちに、その偉大な「科学的な意義」を説き続けます。
このドクター・ラットによる研究所内部の描写はブラックで秀逸。
われわれは百年前に確立された事実の検証をつづけなければならない。そうした検証は凝っ防衛のために欠かせない。期待にこたえるために、焼かれ、茹でられたウサギたちの、長く栄光に満ちた歴史があるのだ。焼いたり茹でたりするための新しい手法を見つけなければならない。さもなければ、連邦議会に研究が進んでいることを伝えられないではないか?(206p)
全編にわたってドクター・ラットの語り口はこんな感じで、動物実験のおぞましさとともに、一度動き出したシステムのグロテスクさをブラックな笑いと共に描き出します。
このへんはジョーゼフ・ヘラーの『キャッチ=22』とかに近いです。
そういえば、この『ドクター・ラット』の解説は高橋源一郎が書いていますが、高橋源一郎は『キャッチ=22』も好きだったはずです。
このドクター・ラットによる研究室の描写と並行して描かれるのが、地球の全動物たちの反乱。
この反乱のためにサバンナに終結する動物を描いた部分は少しセンチメンタルすぎる気もするのですが、食用として殺されていく鶏や牛や豚の描写には胸を締め付けるものがありますし、さまざまな動物の視点をもって描かれる世界は普通の小説では味わえないものです。
ただ、ドクター・ラットの語りに比べると、やや平板なのは否めないです。
ブラック過ぎて読むんが辛いという人もいるでしょうが、ここで描かれている世界というのは必ずしも実験動物や家畜のものだけではなく、もっと広がりを持ったものです。
この『ドクター・ラット』は、現代を鋭く風刺した寓話ともいえるでしょう。
ドクター・ラット (ストレンジ・フィクション)
ウィリアム・コッツウィンクル 内田 昌之