開沼博『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』

 著者は1984年生まれ福島県いわき市生まれで、この本の元になった原稿は2011年1月14日に東京大学大学院学際情報学府に提出された修士論文
 まず、このタイミングでこのような内容の本が出版されたこと、そして若い研究者によってこのようなテーマが研究されていたことに驚きました。
 若い研究者ということで、やや理論面に関しては気負いすぎている面もありますが、ここで語られている福島県浜通りの「原子力ムラ」の歴史と現実というのは、TVなどでは放映されない、まさにアカデミックな研究こそによって掘り下げられたもの。
 原発問題を考える上で避けて通ることのできない問題を抉り出している本だと思います。


 「原子力ムラ」というと、電力会社や経済産業省保安院、そして研究者による共同体を指すこともありますが、この本で取り上げられているのはあくまでも立地地域としての「ムラ」。具体的には福島県であり、その中でも浜通りであり、双葉町大熊町です。
 都市の電力需要を支えるための原発が過疎地域に建設されている問題は今までも指摘されてきたことであり、多くの人々はそこに「中央/地方」「支配/被支配」「搾取/被搾取」「豊かさ/貧困」という対立軸を読み取ってきました。
 しかし、この本の著者はそれだけでは原子力ムラの現実はすくい取れないと考え、以下のように述べます。

「「中央の欲望がムラを抑圧している」という、誰もが理解しやすい「正しい認識」は、一方で答えを見えにくくしているのではないか。であるのであれば、別な方針を模索しなければならない。そこで本書が注目するのは「(中央も欲望しているが)ムラも欲望している。そして、そうであるがゆえに抑圧されている」というまた別の「正しい認識」だ。(77p)


 福島の浜通りでは「原子力最中」なるお菓子が売られ、「回転寿しアトム」なる店も存在していました(115ー117p)。原発は押し付けられた「やっかいなもの」ではなく、ある意味で地域のアイデンティティを表すものとしても機能していたのです。
 著者はこういった地域のあり方を原発の「抱擁」という形で表現します。ジョン・ダワーは太平洋戦争の敗戦において日本人は敗北を「抱きしめた」と表現しましたが、原子力ムラも同じように原発を「抱きしめていた」というのです。


 ただ、この「抱擁」というのは複雑な歴史的な過程を経た「受容」です。
 例えば、1985年から2005年まで20年にわたって双葉町の町長を務め、原発を受け入れてきた岩本忠夫は、60年代・70年代には社会党県議会議員として原発を推進する知事を詰問した筋金入りの反対派でした。
 けれども、彼の「転向」というのは必ずしも例外的なものではありません。中止をめぐって話題になった八ッ場ダムにおいても、建設計画を最終的に是認した町長はかつての反対期成同盟委員長でした(26p)。
 

 この不可思議な現象をどう捉えるのか?
 ここで著者が持ち出すのが、「推進/反対」から「愛郷/非愛郷」へのコード転換です。
 著者は、原子力ムラにおいて、原発の安全性が信じられ、危険性が見て見ぬふりをされ、あまつさえ「原子力最中」が誕生してしまう背景を次のようにまとめています。

 原子力ムラの政治を成立させるのは「愛郷」のコミュニケーション、つまり住民がそこで自らの生き方を貫くことが可能になるのかというコミュニケーションの連鎖に他ならない。
 (中略)
 原子力ムラにおいては、「原子力」がメディアとなり「愛郷/非愛郷」のコミュニケーションの連鎖をつないで行く役割を果たしだし、一方で外部から見たら特異にすら見える、その住民の原子力への「信心」、さらに自己言及的な原子力ムラが自らを原子力ムラとして再生産していく機制が見出される。
 そして成り立つ原子力ムラの政治においてもはや反原発の動きは、推進の動きと同様に、愛郷の中に取り込まれるのみの存在になる。(128p)


 少し小難しい言葉が並んでいるのでわかりにくいかもしれませんが、ここに描かれているのは泥沼的なコミュニケーションです。
 ムラを守るために原子力発電所が誘致される→それによってムラは豊かになり活気を取り戻す→このムラの繁栄を守るためには原子力に頼るしかない→原子力をムラのアイデンティティにしていくしかない、そんな泥沼です。
 前述の双葉町町長の岩本忠夫は任期の終わりの頃に次のように述べています。

 私はどのようなことがあっても原子力の推進だけは信じていきたい。それだけは崩してはいけないと思っています。それを私自身の誇りにしています。そこは東京電力も国も分かってくれとよく申し上げているのです。決して泣き言ではなく、原子力に掛ける想い、それが私の七〇才半ばになった人生の全てみたいな感じをしているものですから。(130p)

  

 そしてこの本の三章と四章では、そうした原子力ムラの前史が語られています。
 「東北のチベット」「福島のチベット」と呼ばれた福島県双葉郡。何もなかったこの地域に、戦争中風船爆弾の製造所が作られ、地方も戦時体制に「動員」されていくことになります。
 しかし、こうした経済体制に組み込まれはしたものの、地方は相変わらず貧しく、福島は水力発電所や新産業都市の誘致に狂奔することになります。地域を愛するがゆえに中央に「従属」しなければならない、そういった仕組みが戦後の経済成長の中で着々と出来上がっていったのです。


 また、第六章では常盤炭田における朝鮮人労働者と原子力ムラの光景が重ねられます。
 炭鉱において劣悪な状況下にあった朝鮮人労働者、しかし彼らの置かれた状況は地域の人からは隠されていました。朝鮮人労働者の中には
日本語のできる「隊長」と呼ばれる存在があって、彼らが日本人の代わりに現場を監督していました。つまり、日本人の多くは直接的には朝鮮人労働者の劣悪な環境を知ることなく、「見て見ぬふり」することができたのです。
 そしてこれは現在の原子力ムラにも通じるものです。
 原発の中のほんとうに危険な作業は「原発ジプシー」とも呼ばれる地元出身者ではない人達によって担われ、原発の本当の危険性は巧妙に隠蔽されています。もちろん、地元の人がこういった存在を知らないわけではありません。原子力ムラにはこういった人々のための安い専門の宿があります。けれども、こうした「原発ジプシー」の存在によって、原子力ムラの人々は原発の危険性を「見て見ぬふり」することができるのです。


 これ以外にも面白い材料が沢山詰まっている本です。
 著者の分析の道具立てに必ずしも賛成できない人であっても、この本に集められている材料に接する価値というのは十分にあると思いますし、個人的には原発、そして日本の地方の問題を考える上で非常に有益な視点と材料を提供してくれた本でした。
 

「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか
開沼博
4791766105