笠原嘉『外来精神医学という方法(笠原嘉臨床論集)』

 『うつ病臨床のエッセンス』につづく、「笠原嘉臨床論集」シリーズの第2弾。
 大学教員からクリニックの開業医となった著者が「外来精神医学」という、病棟で行われる精神医療とはまた違った治療について述べた本で、笠原嘉ならではの落ち着いたわかりやすい記述が楽しめる本です。
 例えば、次のような治療論は、精神医療に人間の根源を探るような何かを期待するような人にはもの足りないかもしれませんが、きっとこれが適切な考えなのでしょう。

 ダムの水位みたいなものを精神症状の背後にあてはめて考えて、水位がしっかりあれば十分に発電でき文化生活ができるんですが、落ちてくると不安がおこり、抑うつ感がおこり、いろんな精神病理症状が起こるであろうと考える。
 (中略)
 ダムの水の水準が下へ行くと精神病症状がでてくるんですよね。上がると簡単にそれがひっこむんです。たとえばアジテーション(焦燥感)なんか起こったときは、ほんとにサイコーティックに近いような状態になりますが、水位が上がって治ればどうってことはない。…水準が下がるといろいろな水面下の障害物が顔を出すが、水位が上がればひとりでに消えるので、妙にいじくらないのが治療のコツです。たとえば幼少期の不快な記憶などがその一つです。(10ー11p)

 
 この本で何度もとり上げられ、また印象に残るのは長期の時間の経過が患者に与える影響です。
 クリニックでは大学病院などとは違い、一人の医師が患者を長期で見ることが多く、またなかなか治らない患者と長期で付き合うことになります。
 例えば「慢性うつ病」では、順調に進めば「不安・いらいら感」は最初に消え、その次に「憂うつ気分」が消えるが、「おっくう感」というのは最期まで残る。著者に言わせると「外来医は慢性患者のこの動きの乏しい「おっくう」の段階をどれくらい辛抱づよくみていけるか、に力量がかかっています」とのことです。
 

 また、「二つの症例報告」や「クリニックで診るこのごろの軽症統合失調症」では、統合失調症患者に対する長期のフォローの記録も載っており、この中にある患者のライフイベントと症状の関係にも興味深いものがあります。
 20代で発病し、その後35年も薬を定期的にとりにくる外来統合失調症患者が、実母の認知症の発症にあたって周囲が驚くほどの対応能力を示し、二人分の薬を取りに来るようになった例など、精神病の症状というものがあくまでも周囲の環境との関係の中で動いているのだという感じさせます。
 さらに、統合失調症の患者に対する次のような指摘も重要なことだと思います。

 患者を人間としてみるということは、彼らを健常者として扱うことと同義ではないはずである。医師が彼らを「分裂病」という無類の重苦をせおった「人間」としてみることを忘れたとき、つまり彼らが接触を求めつつかつ拒むという、その矛盾をみないとき、治療的接触は医師の非常な献身にもかかわらず不毛に終わることを、われわれは痛感している。(138p)


外来精神医学という方法 (笠原嘉臨床論集)
笠原 嘉
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