ジャック・ヴァンス『奇跡なす者たち』

 前半の短篇を読んだ時は、「悪くはないけど正直<未来の文学>シリーズとしてはどうか?」と思いました。<未来の文学>シリーズは過去の作品であるにもかかわらず、まさに「前衛!」という感じの作品が揃っているシリーズなのですが、ヴァンスの作品からはちょっと年代的に古いこともあって、そういった新しさが感じられなかったのです。
 ところが、「無因果世界」あたりから面白くなってそれ以降はすごい作品の連続。特に表題作の「奇跡なす者たち」と「月の蛾」のすばらしさといったらないですね。


 「無因果世界」は因果関係という法則がなくなってしまった世界の話。因果関係の通じなくなった世界で普通の人間だと思われる<残存種>は、まったくでたらめに起こる現象に悩まされ、新しい生命体の<有機体>に襲われて恐怖の日々を送っている状況が描かれます。基本的に荒唐無稽の話ではあるのですが、これをホラ話としてではなくある程度のリアリティが感じられる話として読者を引き込むのがヴァンスのうまいところ。
 

 そして、そうしたヴァンスの「違った世界」に引きこむ技術がいかんなく発揮されているのが「月の蛾」。
 惑星シレーヌでは人びとは人前では常に仮面を見につけ、楽器を奏でながらしゃべります。人びとは非常に個人主義的で人前で素顔をさらすのはタブー。しかも仮面や楽器にはそれぞれ細かい違いがあり、同じ内容をしゃべるにしても奴隷相手、身分の高い人間相手では使う楽器を変えなければいけませんし、またそれぞれの人は自分の「ストラクー」と呼ばれる威信にあった仮面を付ける必要があります。
 そんなシレーヌのファンという街に領事代理としてやってきたシッセルは、ある日凶悪な暗殺者ハゾー・アングマークがファンにやってきたことを知りその逮捕を命じられます。街の人々はすべて仮面をかぶっていて誰がアングマークかわからない状態。しかもシッセルは着任したばかりでまだまだシレーヌの文化を知らず、身につけている仮面は「月の蛾」という威信の低いもの。ただし、他の惑星から来た外星人がシレーヌ人になりすますのは難しく、完全になりすますことができるのはファンに住む4人の外星人のみ。そんなミステリー仕立てのお話が、この「月の蛾」です。
 ミステリー的な面白さももちろんですが、なんといっても惹きつけられるのが惑星シレーヌの文化の設定とその描写。短いページの中に圧倒的にユニークな異文化を描ききる筆致はさすがです。


 そして一番の傑作が「奇跡なす者たち」。
 「咒(しゅ)」という呪術が使われる世界における中世の城攻めを思わせる描写から始まるこの中編は、読み進めるとそこが地球外の惑星で、遠い昔にこの星にやってきた人間たちが戦っているのだということがわかります。
 呪術師である咒師はその術によって敵の兵士たちに恐怖心を与え、混乱に陥れ、また力のある咒師は「鬼神」を呼び出して味方の兵士に憑依させます。
 そんな星で「奇跡」と呼ばれるのは、太古の人間がつかったという様々な兵器や宇宙船、<獄咆>(ヘルマウス)と呼ばれるビーム砲。
 そう、ここでは呪術こそが人間の行う合理的な技であり、科学こそが「奇跡」なのです。
 そんな人間たちが、この星の先住民族である「先人」と戦うことになるというのがこの物語なのですが、何よりも呪術と奇跡の逆転した世界の描き方がものすごくうまい!
 ちょっとジーン・ウルフの「新しい太陽の書」シリーズを思い起こさせるところもあるのですが、「新しい太陽の書」の世界に負けない世界を短いページで描き出す表現力とアイディアは、まさに<未来の文学>シリーズの作家たちの先駆者といえるものです。

 異世界・異文化を苦もなく、そして精緻に描き出すジャック・ヴァンスの技というものが楽しめる本です。
 
 
奇跡なす者たち (未来の文学)
ジャック・ヴァンス 浅倉久志
4336053197