カルロス・バルマセーダ『ブエノスアイレス食堂』

 表紙のレストランの写真、そして『ブエノスアイレス食堂』というタイトルからは想像もできないような凄惨なはじまり。いきなり生後7ヶ月の赤ん坊、セサル・ロンブローソによる人肉食が始まります。
 この本の原題は「食人者の指南書」と訳されるべきタイトルで、作者はアルゼンチンのノワール(暗黒小説)の旗手。
 「『ブエノスアイレス食堂』なんてほのぼのとしたタイトルは騙しじゃないか!」と版元に文句を付けたいところですが、読み進めるうちに「『ブエノスアイレス食堂』というタイトルでぴったりだ」と思うようになってきます。
 

 衝撃的な冒頭部分が終わってから始まるのは、19世紀末にイタリアから移民としてやってきたルチアーノ・カリオストロとルドビーコ・カリオストロという双子の兄弟と、彼らがアルゼンチンのマル・デル・プラタという保養地にある「ブエノスアイレス食堂」の歴史のお話。
 カリオストロ兄弟は料理人となり、さらにヨーロッパで料理修行をしたマッシモ・ロンブローソと知り合い、自らの料理を極めていきます。そしてつくられたのが伝説の料理書である『南海の料理指南書』。ここからブエノスアイレス食堂の伝説が始まります。
 あとの展開はまるで映画の『フォレスト・ガンプ』のよう。イタリアのムッソリーニ、アルゼンチンのフアン・ペロンとその妻エビータ、ドイツの敗戦と共に軍資金を持ってアルゼンチンに現れたUボート、軍事政権による社会主義への厳しい弾圧と、さまざまなアルゼンチンの歴史をなぞるように、ブエノスアイレス食堂の栄枯盛衰が語られます。
 そしてその物語を彩るのがブエノスアイレス食堂で提供された数々の華麗な料理。<<舌平目のルチアーノ、オレンジとローズマリーのソース>>だとか<<伊勢海老のマリアネラ>>だとか<<ハチミツによる蜂の巣とフランボワーズ>>とか、なんだかわからないような、それでいて美味しそうな料理が次々と出てきます。


 で、最後にまたノワール的なお話に戻っていくのですが、それはフルコースを食べたあとのデザートのようなもの。セサル・ロンブローソの運命の行方まで読まなくても十分にお腹いっぱいになります。
 ただ、レクター博士が美食家だったように、美食というのは行き着けばやはり「罪」なのかもしれません。そしてこの小説もアルゼンチンの現代史とともに、そんな美食の「罪」を描いた作品とも言えます。


ブエノスアイレス食堂 (エクス・リブリス)
カルロス バルマセーダ 柳原 孝敦
4560090181