エドワード・P・ジョーンズ『地図になかった世界』

 白水社の<エクス・リブリス>>シリーズの最新刊はアメリカの黒人作家エドワード・P・ジョーンズの『地図になかった世界』。まずは白水社のページに載っている紹介文から。

柴田元幸氏推薦! 文学賞独占の歴史長篇
 本書は、ピュリツァー賞、全米批評家協会賞、国際IMPACダブリン文学賞など主要文学賞を独占したほか、全米各紙誌の年間最優秀図書に選出され、世界的な注目を浴びた作家による歴史長篇だ。
 舞台は南北戦争以前のヴァージニア州マンチェスター郡。黒人の農場主ヘンリーはかつて、郡一番の名士であるロビンズに、両親とともに所有される奴隷だった。少年の頃、ロビンズの馬丁として献身的な働きをしたヘンリーは、いつしかロビンズから実の息子とも変わらないほどの愛情を受けるようになる。ヘンリーの父オーガスタスは、金をこつこつと貯め、苦労して一家全員の自由を買い取ったが、大人になったヘンリーは、みずから黒人奴隷のモーゼズを購入することで両親と決別してしまう。だがそのとき、大農園の主となったヘンリーが急逝する。若き妻ひとりと数十名の奴隷たちが残された農園のなか、「主人」と「奴隷」の関係にしだいに波紋が生じはじめる……。
 柴田元幸氏の推薦文を引く。「旧約聖書のように壮大な、人びとの喜怒哀楽が静かに詰まった、奇跡のような広がりをたたえた物語。アメリカの黒人の歴史、奴隷制の悲惨、そういうことに興味がない人でも、この物語には心を打たれると思う」


 海外文学読みの人はこの紹介文を読んで「フォークナーの世界だな」と思う人も多いと思います。そう、この小説はまさにフォークナー。フォークナーの描いた南部の白人と国人の血をめぐるドラマがこの小説には描かれています。
 舞台となるのはヴァージニア州マンチェスター郡という架空の場所。このへんもフォークナーの創造したヨクナパトーファ郡を思い起こさせます。
 ただフォークナーとの違いは、この小説の作者のエドワード・P・ジョーンズが1951年にワシントンDCで生まれた黒人作家であるということ。ですから、南部のミシシッピで暮らし、曽祖父から南北戦争の話などを聞いて育ったフォークナーのように、作者自らが南部の黒人差別や北部に対する怨念を体験したわけではありません。
 けれども、「黒人奴隷を所有する少数の黒人がいた」という歴史的事実からひとつの家族と地域の歴史を創り上げる想像力はフォークナー的です。また、「聖書的」とも言えるその記述もフォークナーに似ています。


 物語は黒人奴隷を所有する黒人農場主ヘンリー・タウンゼントの死から始まりますが、そこからスタートするというよりは、そのヘンリー・タウンゼントの死に至るまでの過去の系譜と、周囲への波紋、そして南北戦争を控えてだんだんと奴隷制が維持し難くなってきたヴァージニアの雰囲気を、マンチェスター群を見下ろす神のような視点で描いていきます。
 そこに「声高な告発」や「正義の訴え」というものはないのですが、いち早く自由黒人となったヘンリーの父、オーガスタス・タウンゼントが妻のミルドレットと息子のヘンリーを大農場主のウィリアム・ロビンズから買い戻す過程、ウィリアム・ロビンズの黒人の愛人とその子どもたち、ヘンリーとヘンリーが所有した初めての奴隷のモーゼスの関係などから、奴隷制がもたらすさまざまな歪みが読み手に伝わるようになっています。


 金銭で買われた「奴隷」は「契約」によって所有する人の「財産」となります。もし正当な対価が支払われれば「奴隷」は別の人の「財産」になりますし、その対価が奴隷本人によって支払われれば、その「奴隷」は奴隷本人のものになります。つまり、自由な身になるわけです。そして自由になった「奴隷」は「契約」によって他の「奴隷」を買い、それを自らの「財産」とすることも出来ます。
 一方で、アメリカの南部には「白人/黒人」という差別の体系もあります。この人種の壁というものは「契約」によって超えられるものではありません。
 この「人/財産」、「白人/黒人」という二つの境界線が複雑に絡まり合ってこの小説は進んでいくのですが、さらにここに混血の問題、ネイティブアメリカンの存在なども絡んできます。また、ジョン・スキフィントンという郡の保安官を通じて、差別に対する「正義」と奴隷制度認める「法」の問題も描かれます。そして、エドワード・P・ジョーンズはこうした問題を巧みに物語に盛り込んでいきます。
 

 ただ、おそらくエドワード・P・ジョーンズが描きたかかったのは、そうした複雑に絡み合った境界線ではなく、あくまでそこに生きた人間とその土地のお話。南部に対する愛憎を叩きつけたようなフォークナーに比べると、この小説には一人一人の登場人物に対する優しさのようなものがあります。
 原題は"The Known World"「よく知られた世界」。
 アメリカに奴隷制が存在していたことは誰もが知っていることですが、その内実、そこに生きた人びとは本当に知られているのか?このタイトルにはそんな反語的な意味があるように思えます。


地図になかった世界 (エクス・リブリス)
エドワード P ジョーンズ 小澤 英実
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