『J・エドガー』

 FBIの長官に48年間君臨し、政治家たちまでをも盗聴し恫喝してきたと言われるジョン・エドガー・フーヴァーの人生をクリント・イーストウッドが描いた作品。フーヴァーを演じるのはレオナルド・ディカプリオ。若い時代から晩年までを熱演しています。
 ここ最近のイーストウッドは単純に語ることができない作品が多いんだけど、これもそう。20世紀のアメリカの影の支配者とも言えるフーヴァーを、単純な「悪」としてではなく、かと言って「実は善人」というものでもなく、非常に面白い形で描いている。


 まず、この映画の前半で印象的なのは「情報こそが力だ」と宣言し、情報を使ってのし上がっていくフーヴァーの姿。
 映画の冒頭でフーヴァーは、ガールフレンドを議会図書館に誘い、ここの図書カードを使った検索システムを自分が作ったことを誇らしげに述べます。今まで何時間もかかって探さなければならなかった本が、このカードシステムを使えば数分で探すことができるというのです。
 そして彼は司法長官が襲われた事件をきっかけに全国の犯罪者のデータベースを構築しようと考えます。あらゆる犯罪者の指紋をはじめとするデータを中央に集めれば、過激派の犯罪を根こそぎにできると彼は考えたのです。
 この図書館の検索システムの話は何だかGoogleみたいですし、彼の理想としたセキュリティーのシステムは、まさに現在の警察やテロ対策組織が目指しているものです。
 さらに、この「情報こそが力だ」という考えをもとに、捜査に筆跡鑑定などの科学的な手法を導入し、自分の邪魔をする政治家に対しては盗聴などによって得たスキャンダル情報で対抗します。Googleには「邪悪になるな(Don't be evil.)」というモットーがありますが、まさにフーヴァーは「邪悪」になったGoogleのような存在です。


 しかし、この映画はフーヴァーをそういった「邪悪」なシステムを作った男として描いているわけではありません。
 フーヴァーは生涯独身で、FBIのアシスタント・ディレクターであったクライド・トルソンと40年以上の付き合いがあり、彼らはしばしば共に休暇を取り、昼食を共にしていました。ここからフーヴァーは「隠れゲイ」だったと言われているのですが、この映画ではそうした「ゲイとしてのフーヴァー」についても正面から描いています。 
 この映画の脚本はゲイの政治家ハーヴェイ・ミルクを描いた『ミルク』のダスティン・ランス・ブラック。中盤以降、この映画は「ゲイ映画」といってもいいような展開を見せます。まさか老人のBLを見るとは思わなかった!
 ただ、こうしたドロドロした部分やフーヴァーのマザコン、高慢、うぬぼれ、子どもっぽさも、イーストウッドは格調を崩さずに撮っている。特に母親が死んだあとのシーンはディカプリオの熱演も相まって圧巻でした。


 フーヴァーという一筋縄ではいかない人間のさまざまな側面を描いているため、誰でもが「面白い!」と感じる映画ではないかもしれませんが、見終わったあとに映画の様々なシーンが頭にこびりつくような映画。イーストウッドの力はまだ衰えませんね。