蘇童『河・岸』

 著者の読みはスー・トン。<エクス・リブリス>シリーズ発の中国作品は、文化大革命期を背景に父と息子の13年間に渡る水上生活を描いた小説。
 こんなふうに書くと「文革の嵐の中の父と子の絆」のような話を想像してしまうかもしれませんが、全く違います。
 とにかくひたすら情けなくて滑稽でどうしようもない、そんな親子の物語なのです。


 江南の町、油坊鎮に暮らす庫文軒は、尻にある魚の形をした蒙古斑から革命の犠牲となった女性烈士・トウ少香の遺児だとされ油坊鎮の指導者として尊敬を集めていました。しかし、その出自に疑問がつき、庫文軒は失脚。しかも妻には過去の女性関係がばれ、すべを自白させられノートに書き取られる始末。息子の東亮(トンリャン)も父の失脚とともに「空屁」(すかしっぺ)」とのあだ名を付けられこれまたバカにされることになります。
 結局、両親は離婚し、文軒と東亮の親子は河川輸送を担う向陽船団に加わり水上生活を送ることになります。
 そうした中で、東亮は父親の秘密が書かれたノートを手にしてしまい、それをネタに手淫にふける毎日です。


 実際の中国での状況は知りませんが、この本を読むかぎり船団で水上生活を送る人びとというのは陸上の人びとから蔑視されている存在のようで、船団の人びと、そしてそれに加わった文軒と東亮の親子は一段低い人として陸上の人から見られることになります。
 そんな中、船団にやってきたのが母親が失踪してしまった少女の慧仙(ホイシェン)。彼女はその美貌とわがままな態度で一躍船団の中で注目の的になり、やがてその魅力は陸の人々にも見出されていきます。
 その慧仙に東亮が惹かれないわけはなく、彼女が気になって仕方がない状態になります。挙句の果てには彼女に「ヒマワリ」とのあだ名を付けてその行動を逐一ノートに書き留めるようになります。
 

 こんな形で、この小説は「河」にとどまり二度と「陸」には上がろうとしない父・文軒、「河」の生活を捨て「陸」で栄誉と名声をつかもうとする慧仙、「河」と「陸」を行ったりきたりしながら慧仙に翻弄され父に叱られる東亮の3人それぞれの姿を追いながら進んでいきます。
 「河」は人を引き込む力を持っていて、「あの世」にも通じています。
 この小説は「河」と「陸(岸)」の境界、そして「この世」と「あの世」の境界としての「河」の姿を描いたものとも読めるのです。


 けれども、この小説の魅力は登場人物たちの底抜けの「どうしようもなさ」。
 今まで主人公の東亮の「どうしようもない」面についてはいくつかあげましたが、これ以外にもこの主人公の行動は「どうしようもなさ」に満ちてる。とにかく行く先々でトラブルを起こすのですが、そのトラブルの内容が子ども時代から二十代半ばまで全く進歩しないというのが「どうしようもない」。
 さらに慧仙もけっして褒められた性格ではなく、その行く末は結局「どうしようもない」。
 そして東亮を導くはずの父・文軒も最後のほうまで情けなさ全開で、これまた「どうしようもない」。
 

 けど、その「どうしようもなさ」が笑いとともに、最後の最後で感動を呼ぶのがこの小説のいいところ。
 確かに文革の話も出てきますし、社会主義体制を笑う批判精神というものもあります。ただ、それ以上に、「どうしようもない」ところまで堕ちた先にある笑いと涙を見せてくれる小説ですね。


河・岸 (エクス・リブリス)
蘇 童 飯塚 容
4560090203