ジョナサン・サフラン・フォア『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』

「春と秋の渡り鳥の季節、霧深い夜に鳥たちを混乱させないように塔を照らす明かりが消されるのですが、その結果、鳥たちはビルに飛びこむことになります」「毎年、一万羽が窓にぶつかって死ぬんだよ」と、ぼくはルースに、ツインタワーの窓について調べていたときにたまたま知ったことを伝えた。「けっこうな数の鳥だな」とミスター・ブラックが言った。「窓もけっこうな数よ」とルースが言った。ぼくはふたりに告げた、「そう、それでぼくは、ビルにありえないほど近くなった鳥を探知して、別の高層ビルからものすごくうるさい鳴き声を出して鳥を引きつける装置を発明したんだ。鳥はビルからビルにはねるんだよ」。「ピンボールみたいだな」とミスター・ブラックが言った。「ピンボールって何?」とぼくはたずねた。「でも鳥たちはけっしてマンハッタンを離れない」とルースが言った。「それはいいね」とぼくはルースに告げた、…(338ー339p)

 映画『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』は、ややあざとい部分があるもののいい映画でした。
 ただ、あの映画を見ただけでは「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」という変わったタイトルの由来はわかりませんでしたよね。
 で、冒頭にあげたのが、その「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」ということばが使われている部分です(「ありえないほど近い」は何回か使われているのですが、「ものすごくうるさくて」と一緒に使われているのはここだけのはず)。
 

 主人公のオスカーは9.11テロで父のトーマスを亡くした9歳の少年。
 遺体も発見されず埋葬されたのは空っぽの棺。そんな父の死を受け入れられないオスカーは、父のクローゼットで青いツボに入った謎の鍵を見つけます。そして封筒には「BLACK」の文字。オスカーは父の残した秘密を探るために鍵に合う鍵穴を探してニューヨーク中を「BLACKさん」を探す冒険をはじめます。


 このあらすじ自体は映画も小説も同じなのですが、ももが足りから受ける印象は随分と違います。
 映画は基本的に親子の物語でした。生前、オスカーに様々なことを教えた父、オスカーを見守っていた母親。そして亡くなった現在でもオスカーの中に生きている父の姿。さまざまな要素をそうした親子の物語に収斂させたのが、エリック・ロスの脚本であり、出来上がった映画でした。


 ところが、小説はもっと重層的で、深い。
 オスカーの祖父のトーマスの経験したドレスデンの爆撃の話と現在の9.11テロの話を重ね合わせることで、歴史の悲劇とそれをどう乗り越えるのか?といった大きなテーマを扱うものになっています。

 ロシュヴィッツ橋のたもとで死にそうだと思ったとき、私の頭にはひとつの考えがあった。考えつづけろ。考えることで生きていられたのかもしれない。だが、いま私は生きていて、考えることは私を殺しかけている。(287p)

 いまよりまえにあったどの瞬間も、いまこの瞬間しだいなのです。/世界の歴史上の何もかもが一瞬のうちにまちがっていたことになったりする。(314p)

 これらのセリフ(それぞれオスカーの祖父と祖母による手紙に書かれているもの)は、映画が描き出していた世界よりも一段暗くて深い場所から発せられているような言葉です。
 

 オスカーの祖父はドレスデンの爆撃で恋人で自らの子どもをお腹に宿していたアンナを失い、そして放浪のすえにたまたまニューヨークでアンナの妹であるオスカーの祖母と結婚します。
 この祖父はドレスデンの爆撃のショックで言葉を失い、メモ帳と自らの手のひらに書かれた「Yes」と「No」でコミュニケーションを行なっています。
 そしてその独特のコミュニケーションが、この小説では、1ページに「助けてくれ」や「今何時かわかりますか?」だけ書き記すことや、メモ帳の余白がなくなりページ全体が文字に埋まっていき真っ黒になっていくことなどで表されています。
 この小説は内容も深いですし、その表現方法もタイポグラフィや写真などをつかった前衛的なものです。


 ここまで読んで少しでも興味が湧いたのならぜひ読んで欲しいですし、読めばこの小説のすばらしさが分かると思うのですが、最後に冒頭に引用したエピソードについて少し書いておきます。
 「ビルにありえないほど近くなった鳥」というのは、破局に直面した状態です。ちょうどツインタワーでテロに巻き込まれ、今にも倒壊しそうな塔にいるオスカーの父親のような状態です。
 その破局をストップさせる「ものすごくうるさい鳴き声」というのは現実には存在しません。東日本大震災を経験した日本人にとっては、素人の人がとった津波のビデオの後ろに聞こえる「逃げてー!」という叫びを思い出すかもしれませんが、あの声も殆どの場合、津波に飲まれる人を救うことはできませんでした。


 けれども一方で、この「ものすごくうるさい鳴き声」というのはオスカーの父を求める声、父の不条理の死に抵抗するオスカーの叫びともとれます。
 このオスカーの声も、もちろん時間を巻き戻して破局を回避させるようなものではありませんが、この「ものすごくうるさい鳴き声」、そしてそれに突き動かされた「ブラックさん」を探す冒険は、巨大な悲劇にほんの少しでも対抗できるような何かを与えているのだと思います。 


ものすごくうるさくて、ありえないほど近い
ジョナサン・サフラン・フォア 近藤 隆文
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