ポール・ハーディング『ティンカーズ』

 いくつもの出版社に原稿を送るものの相手にされず、ようやくニューヨーク大学医学部の非営利出版局であるベルビュー・プレスが、小説の中に癲癇が描かれていることを理由にようやく出版を引き受けたら、じわじわと評判が広がり、ついにはピュリッツァー賞まで受賞してしまったというシンデレラ・ストーリーを実現したのがこの小説。
 カバー裏に書いてある紹介は次の通り。

 退職後、時計修理を営んできた80歳のジョージ・ワシントン・クロスビーは、死の床で、自宅がばらばらに崩壊する白昼夢を見る。記憶や思い出の数々が脳裏に浮かんでは消えていくなか、鮮明に思い出したのは、11歳のとき、貧しい行商人だった父ハワードが、クリスマスイヴの夕食の準備のさなかに癲癇の発作におそわれた光景だった。ジョージは父が頭を床に打ちつけないようおさえつけていた指を強く噛まれ、それを見た妻キャスリーンは、夫を施設に入れることをひそかに決意する。その計画を知ったハワードは絶望し、いつものように行商に出たまま、二度と戻ることはなかった。病を苦にし、家を出た父の意識の流れ、牧師だった祖父のエピソードなど、現代を含むさまざまな時間軸の物語が、18世紀の時計修理手引書からの抜粋や手書きの文章とともに織り上げられていく。死にゆくジョージが最後に思い出した光景とは…驚異の新人による奇跡のデビュー作。2010年度ピュリツァー賞受賞作。


 上の文章からも分かるように、この小説はまるでコラージュのような作品で、時計修理職人のジョージとその父で行商人のハワードの数々の記憶がちりばめられています。
 タイトルの「ティンカーズ」の「ティンカー」には「修理する人」や「行商をする人」という意味があるそうですが、この小説はまさにタイトル通りに父と息子の二人の「ティンカーズ」のお話です。


 「驚異の新人による奇跡のデビュー作、ピュリツァー賞受賞」などと聞くと、相当驚くべきストーリーなり仕掛けがあるのではないかと思ってもしまいますが、全体的な印象は丁寧で物静か。派手さとは無縁の小説です。
 けれども、いくつかのシーンは鮮烈な印象を残します。
 例えば、ハワードが森の隠者のギルバートの歯を抜くシーン。ホーソーンと同窓だったいう「伝説」を持つギルバートは、「歯!」と強く言い、虫歯を抜くことをハワードに迫ります。やっとこで歯を引っこ抜こうとするハワード、あまりの痛さに気絶するギルバート。壮絶な光景がなにかしらユーモラスに描かれています。


 そしてなんといってもハワードの癲癇の発作のシーン。
 クリスマスディナーの折に、ジョージの前で発作を起こしてしまったハワード。ハワードが舌を噛み切らないように必死でハワードを抑える母と息子のジョージ。癲癇の発作というのは今までいくつかの小説で読んだことがありますが、この小説ほど鮮烈に描写されているものは初めて読んだ気がします。


 正直、ハワードの父のエピソードなどは要らない気もしますし、新人らしくややこなれていない部分はあります。また主役であるはずのジョージの描き方もやや甘い気がします。
 ただ、それでもハワードのエピソードやラストの展開は非常に良く出来ています。静かな感動を起こさせるような小説といえるでしょう。


ティンカーズ (エクス・リブリス)
ポール ハーディング 小竹 由美子
4560090211