サムコ・ターレ『墓地の書』

 松籟社<東欧の想像力>シリーズ第8弾は現代スロヴァキアの作家サムコ・ターレの『墓地の書』。 
 著者のサムコ・ターレは、知的障害を持ちダンボール回収の仕事をしている人物とのことですが、実はこの小説にはきちんとした作者が別にいます。
 真の作者はダニエラ・カピターニョヴァーという女性で、元は演劇の仕事をしていた人らしいです。
 そのダニエラ・カピターニョヴァーがサムコ・ターレなる知的障害持った作者をつくりあげ、サムコ・ターレの作品として書かれたのがこの小説です。


 サムコ・ターレは街の酒場にいるアル中のグスト・ルーへという人物から「『墓地の書』を書きあげる」という予言を受け、2ページほどの「第一の墓地の書」を書きあげ、コロマン・ケルテーシュ・バガラという人物(この本の実際の編集者)に送りますがなしのつぶて。そこで「第二の墓地の書」の執筆を始めます。
 「第一の墓地の書」は、基本的に墓地の様子を書いたものなのですが、「第二の墓地の書」は基本的にサムコ・ターレの身辺雑記。
 彼の家族や親族、コマールノという彼の住む街とそこに住む人々などの変わった生活の様子や、共産党政権の崩壊からのスロヴァキア社会の変化などを描いています。


 小説自体は真面目ではあるけどずれている知的障害者のサムコ・ターレというキャラクターを生かした笑いが中心になっていて、それが時にブラックな味になり、時に社会風刺になっています。
 ちょっと変わった人間を主人公にした社会風刺という点では同じ<東欧の想像力>シリーズのボフミル・フラバル『あまりにも騒がしい孤独』と少し近いとことがあるかもしれません。
 ただ、内容の面でも笑いの面でも、ボフミル・フラバル『あまりにも騒がしい孤独』のほうが数段上。
 例えば、この本ではジプシーやユダヤ人、ハンガリー人への偏見がサムコ・ターレの口からあからさまに語られます。もちろん、その偏見は自分に跳ね返ってくるような構図にはなっているのですが、スロヴァキア語への礼賛なども含めて、この本がスロヴァキアで人気になった理由は案外そこにあったのではないかと感じてしまいます。
 つまり、風刺や批判のレベルが非常にベタなので、逆に排外主義的な人にウケそうでもあるんですよね。
 著者自身はおそらくそういった意図で書いているわけではないのでしょうが、いまいちサムコ・ターレという脳天気な主人公をうまく使い切れていないところもあって時に稚拙に思えてしまいます。
 
 
 最後の方の共産主義時代の名士だったグナール・カロル博士をめぐるエピソードなんかは共産主義時代とその後の変動の影の部分を描いていて悪くないと思うのですが、全体的にサムコ・ターレというキャラクターに頼ってしまっている部分が多いと思います。
 

墓地の書 (東欧の想像力)
サムコ ターレ 木村 英明
4879843032