トマス・ピンチョン『LAヴァイス』

 ピンチョンの現在のところの最新作である本作は、ロサンゼルスを舞台にした私立探偵もの。
 しかも「ピンチョンにしては」、ロス市警内の秘密とか、怪しげな依頼人とか、探偵の元恋人とか、いわゆる探偵ものによく出てくるような設定も取り入れつつ、なおかつそれなりに謎解きの話になっている。
 もちろん、ミステリーやハードボイルドを期待してこの本を読むと、主人公の「ラリラリ」ぶりや、ありすぎえ収拾のつかなくなる枝葉に挫折してしまうと思いますが、『逆光』や『メイスン&ディクスン』なんかに比べると、とっつきやすい小説であることは確か。

  

「これも無垢の終わり(エンド・オブ・イノセンス)ってもんでしょ。昔はストレートな人たちにもどっか憎みきれないトコがあったし、こっちも誰かの役に立ちたいってたまに本気で思ったりしてた。ああいうのはたぶんみんな消えちゃったわね。純度三パーセントかそこらのヘロインといっしょに、西海岸の伝統がまた一つトイレに流れちゃったんだわ」(59ー60p)

 この小説の舞台となっているのは、おそらく1970年。
 上の引用にもあるように、「無垢」な60年代が終わってロサンゼルスもそして世界も変わり始めていたころです。
 私立探偵のドッグは、ロスの建設業界の大立者ミッキー・ウルフマンの失踪事件と、彼のボディガードの殺人事件に巻き込まれ、その謎を追います。ウルフマンの恋人はドッグの元恋人のシャスタ。ドッグはウルフマンの影とシャスタの姿を追う中で、出てくるのはサーフロックバンド、ザ・ボーズの死んだはずサックスプレーヤーや、「黄金の牙」と呼ばれる謎の船。さらにはロス市警の闇に、ラスヴェガスのカジノなど、まさにありとあらゆる物が登場。
 最初にも書いたように、道具立てとしては、いかにもな感じなのですが、ピンチョンはそこに当時のサブカルチャーを大量投入することで、ミステリーとしての緊迫感を台無しにしてしまっています。


 ただ、もちろんピンチョンは緊迫感のあるミステリーなんても物を書くつもりは毛頭ないです。
 サブカルチャーが嫌ってほどぶち込まれたこの小説が描くのは、ある種の時代の転換点。ヒッピーの時代が終わり、当時カリフォルニア州知事だったレーガンが保守派の希望として登場し、やがてアメリカを塗り替えていく、そんな時代をピンチョンは描き出します(レーガンが体現したものに関しては村田晃嗣『レーガン』(中公新書)を読むといいです)。
 この小説に何度も登場するチャールズ・マンソン事件。「まさにヒッピー」という風貌をしていたチャールズ・マンソンドロップアウトした中流階級出身の女性たちをてなづけ、カルト教団のようなものをつくり、ビートルズのアルバムに最終戦争のメッセージを読み取って複数の殺人事件を犯したものです。
 日本においてあさま山荘事件連合赤軍事件が「学生運動の終わり」をもたらしたのと同じように、このチャールズ・マンソン事件は「古き良きヒッピー」の終わりをもたらした事件なのでしょう。


 そんな「ヒッピーの時代の終わり」にヒッピー探偵を主人公に据えたのがこの小説。
 当然ながら主人公のドッグはかっこいいヒーローには成り得ないし、政府権力を痛快に出し抜くこともできない。ひたひたと忍び寄る新しい権力の影を前にして何とかして逃げまわって前に進もうとするのがドッグの姿です。
 確かにこの小説は探偵小説の文法に沿った骨格になっていますが、同時に「私立探偵の終わり」を感じさせるような内容でもあります。
 

 今までのピンチョンの小説に比べるとスケール感という点ではやや劣りますし、ちょっとノスタルジーが強すぎるところもあります。ただ、ドタバタ劇の中に時たまあらわれる美しい文章は相変わらず。シャスタの思い出や、そして何よりもラストの部分の文章は文学的な美しさを見せています。
 まあ、脱線にうんざりするところも皆無といはいえないですが、それも含めて最後に充実感が味わえる作品になっています。


トマス・ピンチョン全小説 LAヴァイス (Thomas Pynchon Complete Collection)
トマス ピンチョン Thomas Pynchon
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