「アルゼンチンやチリで行われたことなど、グアテマラでの先住民虐殺に較べたら子供の遊びのようなものだ」
これは「訳者あとがき」で紹介されている、この本の作者のモヤが日本の酒場で漏らした言葉です。
1961年から36年間続いたグアテマラの内戦。この内戦のさなかの1970年代後半から、内戦はグアテマラの先住民族であるマヤ族へのジェノサイドへと姿を変え、20万人以上の死者・行方不明者を出したとされています。
この虐殺に関しては、報告書がつくられており、日本語でも『グアテマラ虐殺の記憶』というタイトルで抄訳が出ています。
そしてこの小説はこの報告書と思われるものの校閲を担当することになったエルサルバドル人のジャーナリストの男が主人公です(ちなみにモヤもエルサルバドル人)。
彼がこの報告書を校閲する様子を描いたのがこの小説なわけですが、「虐殺の記憶」そのものを期待すると肩透かしを喰らいます。
報告書の内容は、太字で断片的に挟まれますが、基本的なお話は金に執着し女を何とかしてものにしようとる、ある意味で情けない主人公の様子です。
ですから、この小説に「グアテマラの虐殺の実態!」のようなものを期待すると肩透かしを食います。このあたりは帯でこの本を絶賛したと書いてあるロベルト・ボラーニョの『野生の探偵たち』の前半を思わせるものがあって、基本的に酒飲んで女追い回して悪態をついてという、ダラダラした感じが続きます。
ただ、そんな中にも主人公の頭には、報告書に書かれた虐殺の記憶がよぎり、その記憶は主人公の精神を追い詰めていきます。
傷ついたままでいるのは確かに辛いが、死んでしまえば平穏だ
わたしたちが恐れていた者たちは、私たち似た者たちだった
あれからのち、我々は不安の時間を生きているんだ
われわれはみんな、誰が人殺か知っているぞ!
こうした言葉が次第に主人公を追い詰めていく様子を描いた後半は見事で、詩人でもある作者の文章が生きていると思います。「グアテマラの虐殺の実態」を直接描くのではなく、間接的にその恐怖を主人公に体験させることで、読んでいる方にも虐殺の闇の深さを感じさせるようなかたちです。
同じようなテーマを描いた作品にダニエル・アラルコンの『ロスト・シティ・レディオ』がありますが、書き方や読後感はずいぶん違います。あえて架空の国を舞台にした『ロスト・シティ・レディオ』』に比べると、この『無分別』は直接的ではないですが、かなり生々しい作品だといえるでしょう。
無分別 (エクス・リブリス)
オラシオ・カステジャーノス・モヤ 細野 豊