成田善弘『精神療法の深さ』

 精神科医成田善弘の自選臨床論文集。論文選択は編集者が提案し、それをもとに成田善弘が少し差し替えた程度らしいですが、総論的なものからはじまり青年期の患者への治療、境界例への臨床事例、コンサルテーション・リエゾンなど幅広いテーマにわたっており、成田善弘の仕事の全体を知るのに適したものとなっています。
 目次・収録論文は以下の通り。

まえがき
診断と見立て 精神科医の立場から
転移/逆転移 役割からの逸脱と再統合
解釈の実際 転移と逆転移の観点から
精神療法の深さ 精神科医の立場から
心理療法的関係の二重性
青年期患者と接する治療者について
強迫症者の世界 概念・臨床・精神病理学
境界例の個人精神療法 治療者の気持とその変遷をめぐって
境界例と思われる少女とその家族
総合病院におけるリエゾン精神医学の実践
心身症の心理治療的側面
分裂病者と会うときに
若者の精神病理 ここ二十年の特徴と変化
解説 成田先生と母国語で対話できる幸せ  原田 誠一

 
 まず、この本で注目したいのは「精神療法の深さ」というタイトル。
 成田善弘の出自を知らない人には別にどうってこと無いタイトルかもしれませんが、これは成田善弘が学んだ名古屋大学の教授・笠原嘉の発言、例えば「心の治療はできることなら『あまり深くメスを入れないですませる』のが名医(?)だと私自身は思っています。」(『軽症うつ病』(講談社現代新書151p)といったものを意識したものなんだと思います。
 この笠原嘉がいう「浅い」治療法を志向しているのが、同じく名古屋大学に在籍していた中井久夫。彼の「深い」精神療法に対する警戒感は、例えば『隣の病』(ちくま学芸文庫)の次の一節に書かれています。

 薬を恐怖して精神療法を無害だとする人がある。薬は排泄されればおしまいである。精神療法のほうがはるかに永続的な影響を残す。失恋の痛手が生涯忘れられないのと似ている。体の傷のほうはこれほど執拗ではない。精神療法の有効性を物語るのは何よりもその失敗例の無惨さである(86p)


 しかし、それでもやはり「深い」精神療法ならではの魅力というのはあります。
 『解離性障害の治療技法』を書いた細澤仁は、神戸大学の医学部に所属し、中井久夫安克昌のラインのもとで精神科医としてこの解離性障害と向き合うことになったのですが、そこで主流だった外傷理論による治療に満足できず、また自分の逆転移の感情を持て余し、そこから精神分析を中心とする治療理論に切り替えたという経歴を持っています。
 そして、この本の著者の成田善弘もまた、笠原嘉や中井久夫流の「浅い」治療法には飽きたらずに、精神分析を学び、力動的精神療法を志した人物です。


 この本のタイトルにもなっている「精神療法の深さ 精神科医の立場から」という論文では、「精神療法が「深い」とは、治療者の欲が深く、患者の傷が深く、患者の恨みが深い、ということを意味してしまうかもしれない」(71p)と、その副作用について警鐘を鳴らしながらも、40代後半の女性が、治療者の前でそれまで大切にしてきた3人の男性の写真と絵を細かくちぎり川に流して「お葬式」をしたエピソードを紹介し、次のように述べています。

 こんなふうに、治療者ばかりか治療者をとりまく外界までが患者の内的世界が展開する舞台となる時、「深い」精神療法が進行しつつあるという印象をもつ。治療者の意図を越えた不思議な力によって、精神療法の場とそれをとりまく外界とが意味深い象徴と化すがごとくである。(78p)


 この「深い」精神療法というテーマは、次の「心理療法的関係の二重性」という論文でさらに展開されています。
 この論文の冒頭に置かれているのは「先生には医者と患者としてでなく人間と人間として接してほしい。病気の人間が求めているのはそういう関係なんです」という、ある境界例の少女の患者が著者に言った言葉です(81p)。
 この患者の前治療者は若い女性の精神科医で、熱心で献身的な治療者だったけど患者との関係に巻き込まれ、いわば「燃え尽きる」感じで精神科医であることをやめてしまったそうです。成田善弘はその医師からこの患者を引き継ぎ、先ほどの言葉をぶつけられたのです。
 成田善弘はこの時、「わたしはあなたの治療の役に立つよい医者になりたいと願っている。前の先生もきっとそう願っていたのだと思う」と返したそうなのですが(83p)、ずっとそれがひっかかったのだそうです。


 精神療法、特に精神分析における治療者と患者の関係は、ある意味でその関係からの逸脱が求められます。患者は治療者に自分の父親や母親の姿を重ね(転移)、時に治療者に依存し病的な構造の中にとどまろうとします。一方、そうした転移に対して治療者のほうが患者に特別な感情を持ってしまうことがあります(逆転移)。この逆転移を治療者がどう扱うかは非常に重要で、この論文で成田善弘フロイトの「ドラの症例」を分析しながら、フロイトでさえ自分の逆転移の感情をきちんと分析しきれていないとしています。
 しかし、この「転移/逆転移」の関係こそ、患者のより深い内面への探求を可能にし、精神分析的な治療を進めるものです。


 成田善弘心理療法的関係には、それぞれ「意識的/無意識的」、「現実的/空想的」、「理性的/情緒的」、「現在的/通時的」、「職業的/個人的」、「契約的/転移・逆転移」という二重の関係性があるといいます。通常の医療行為では表面上は前者だけの関係が患者との間に結ばれますが、心理療法では常に二重の関係性が意識されるのです。
 そして、最後に成田善弘は冒頭の少女の問いに立ち戻り、次のように述べています。

 今思うと、私はその少女に問い返すべきであったのかもしれない。「あなたの言う『医者と患者の関係』『人間と人間としての関係』というのはそれぞれどういうものなの?」と。そこから心理療法というものを彼女がどうとらえているか、そこに何を期待しているかが明らかになったはずである。そしてそれがインフォームド・コンセントにもつながり、また彼女に人間と人間として向き合うことになったであろう。考えてみればこのように問い返すことは心理療法の基本である。問いをより広く深い次元において問い返すことこそ心理療法家の仕事であるはずである。(1167p)


 この本で成田善弘のいう「深い」精神療法というのは、患者との関係に没入せよというものではありません。むしろ、「青年期患者と接する治療者について」では、そういった没入を戒めているとも言えます。
 ただ、統合失調症の患者を主に診た中井久夫などに対して、この本の著者の成田善弘、そして『解離性障害の治療技法』の細澤仁は主に境界例の患者を診てきた医師です。その患者の特質からして、どこかで患者の内面に「深く」関わることが出来なければ、治療の効果はなかなか上がらないと考えているのでしょう。
 自分は精神科医でもないので、治療にどこまで「深い」関係が必要なのかということはわかりませんが、人間は本人が予想しないような何らかの「アクシデント」がないかぎりなかなか変わらないのは事実で、その「アクシデント」を治療者がいっしょになって捕まえるには、やはりある程度の「深い」関係が必要なのはたしかでしょう。
 一方、そういった「アクシデント」を故意に引き起こそうとする治療や行為は非常に危険だと思います(もちろん、そのような行為はこの本では推奨されていません)。


 というわけで、成田善弘の考えをたどりつつ、読む方にもいろいろと考えさせる本。巻末の原田誠一の解説も充実していますし、精神療法に関心をもつ人に幅広く読まれるべき本だと思います。


精神療法の深さ
成田 善弘
4772412530