テア・オビレヒト『タイガーズ・ワイフ』

 著者は1985年にユーゴスラヴィアベオグラード生まれの女性で、92年に内戦の激化するユーゴを離れ、キプロス、そしてエジプトへと渡り、97年にアメリカに移住。大学で文学を学び、この小説が長編デビュー作というテア・オビレヒト。
 戦争が集結して間もないバルカン半島の国で活動する女性医師と、同じく医師であった祖父、そしてその祖父が語る「不死身の男」や「トラの嫁」といった不思議な人間(?)たちによって織りなされる、不思議な印象を残す物語です。


 舞台となっているのは、あえて名前の伏せられたバルカン半島の国なのですが、次の記述からユーゴスラヴィア、そして著者の生まれたセルビアと考えていいでしょう。

 戦争はすべてを変えてしまった。いったんばらばらになってしまうと、かつてのわたしたちの国を形作っていたピースは、パズルのなかでそれぞれ持っていた特徴を失ってしまった。名所や作家、科学者、歴史など、かつては共有されていたものは、新しい所有者に分配されてしまった。あのノーベル賞受賞者はもうわたしたちの国の人ではなく、あちら側の人だった。わたしたちの国の空港は、もう共有の人物ではない狂った発明家にちなんで名づけられた。そのあいだずっと、すべてはいつか元通りになるはず、とわたしたちは自分たちに言い聞かせていた。(181ー182p)

 この「狂った発明家にちなんで名づけられた」は、おそらく2006年に「ベオグラード国際空港」から「ベオグラードニコラ・テスラ空港」に改名された空港のこと。作者のテア・オビレヒトが生まれた街の空港になりますね。


 ですから、この小説はユーゴ内戦の悲劇を告発した小説だとも言えます。実際、動物園の描写や、主人公の女性医師が訪ねる村の様子からは内戦の悲惨さが伝わってきます。
 ただ、同じようにユーゴ内戦を舞台にした傑作小説サーシャ・スタニシチの『兵士はどうやってグラモフォンを修理するか』と比べると、その印象はずいぶん違います。両者ともユーゴ内戦を舞台にし、ファンタジー的な要素を取り入れ、祖父が重要な役割を果たし、祖父と孫が内戦に反発しつつ父親母親世代の影は薄いといった共通点があるにも関わらずです。


 この違いはおそらく両作品の著者のプロフィールの違いから来ています。
 『タイガーズ・ワイフ』の著者のテア・オビレヒトは1985年セルビアベオグラード生まれ。一方、『兵士はどうやってグラモフォンを修理するか』のサーシャ・スタニシチは1978年、旧ユーゴスラビアボスニア・ヘルツェゴビナの都市ヴィシェグラードの出身。
 何と言っても、セルビアベオグラードと内戦の主戦場となったボスニア・ヘルツェゴヴィナではその生活はまったく違ったでしょう。さらに、両者の違いのポイントはその年齢です。ユーゴ内戦の第一段階は1991年から1995年にかけて。78年生まれのスタニシチは中高生くらいのときに内戦を経験していますが、テア・オビレヒトは7歳の時の92年にユーゴを脱出しています。


 そのせいもあって『兵士はどうやってグラモフォンを修理するか』が、戦争という「現実」が主人公やおじいちゃんの「ファンタジー」を塗りつぶしていく中で、なんとか「ファンタジー」によって物語の余地を確保しようする現在進行形の小説であったのに対して、基本的にこの『タイガーズ・ワイフ』の世界では戦争はすでに終わっています。
 スタニシチと違って、おそらく戦争の直接的な記憶がほとんどないであろうテア・オビレヒトは、戦争が終わったあとに医療活動を行う女性医師を主人公に据えながら、第2次世界対戦と今回の内戦の2つの戦争を経験した祖父の記憶を引っ張りだしてきます。
 その中心となるのが、戦争によって破壊された動物園から逃げてきたトラと奇妙な交流を持つ聾唖の肉屋の妻「トラの嫁」と、医師であった父のもとに何回か現れる「不死身の男」の話です。
 バルカン半島に古くから伝わる民間伝承のようなこの話は(実際に似たような話しがあるかどうか走りませんが)、この小説の魅力の中心であり、著者のバルカン半島へのある種のノスタルジーを表しているような気がします。


 『兵士はどうやってグラモフォンを修理するか』は、豊かなバルカン半島の文化が戦争によって徐々に破壊されていってしまう話でしたが、この『タイガーズ・ワイフ』は戦争によって文化がダメージを受けああとに、著者が自らのルーツを掘り起こそうとする話といえるかもしれません。 
 この小説には次のような一節があります。

 恐怖と苦痛は直接的なものなのよ、と母はいつも言う。恐怖と苦痛が消えると、わたしたちの手元に残るのは概念であって、本当の記憶じゃないのよ、と。そうでなかったら、どうして二人目の子どもを産もうという人がいるの?(189p)

 「恐怖と苦痛」をそのまま語ることは不可能で、言葉にした途端、それは本当のものではなくなります。
 ところが、だからこそ人は二人目の子どもを産もうとするのでしょうし、戦争が終わった後も人びとの生活は続くのでしょう。


 『兵士はどうやってグラモフォンを修理するか』の最後の方に次のような言葉が書かれています。

 ドリーナ川にも物語にも、できないことがひとつだけある。どちらも後戻りすることができないんだ。水は引き返すことができないし、ほかの川床を選ぶこともできない。ちょうと、どんな約束もいま、結局は守られないのと同じように。溺れ死んだ者が浮かび上がって、タオルはないかと訊いたりはしないし、結局愛などないし、煙草屋の主人だって最初から生まれてこなかったことにはできないし、撃たれた弾は首から銃へと戻ることはできない。(391p)

 これはまさに事実で戦争で死んだ人が生き返ることはありません。
 ところが、『タイガーズ・ワイフ』には「不死身の男」が登場します。彼は何度死んでも、どんなかたちで殺されようとも必ず蘇ってくるのです。この「不死身の男」が不死身であるのは一種の罰なのですが、それでも著者の考える、戦争でも死なない「何か」が、この「不死身の男」に投影されているのかもしれません。


 この本の訳者と同じ藤井光の訳した小説にダニエル・アラルコンの『ロスト・シティ・レディオ』という小説があります。内戦が続いた国で行方不明者を探す人気ラジオ番組を軸に内戦の終わった中南米のある国の様子を描いた小説でしたが、この『タイガーズ・ワイフ』は、その『ロスト・シティ・レディオ』と印象がダブります。
 もちろん訳者がおなじということもあるかもしれませんが、2つとも「戦後」を描いた作品であり、そのくせ舞台をあえて架空の国にすることで、直接的な苦痛や恐怖から離れて戦争のもたらすものを描こうとしているような気がするのです。
 


タイガーズ・ワイフ (新潮クレスト・ブックス)
テア オブレヒト T´ea Obreht
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兵士はどうやってグラモフォンを修理するか (エクス・リブリス)
サーシャ スタニシチ 浅井 晶子
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ロスト・シティ・レディオ (新潮クレスト・ブックス)
ダニエル アラルコン Daniel Alarc´on
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