見る前に予想していた新劇場版の見立ては崩壊したか?〜ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q

 昨日見てきましたけど、内容にはやはりびっくりしましたね。
 今回の映画に限ってはネタバレは良くないとも思うので、とりあえず自分が「Q」を見るまで頭の中で考えていた新劇場版の構想を書いたうえで、そのあとに今回の「Q」がそれとどれくらい離れてしまったかを考えてみたいと思います。


 まず、エヴァンゲリオンの主人公は碇シンジでヒロインは綾波レイだというのが、TVシリーズや新劇場版の前半を見た時の素直な印象になりますが、知っての通り綾波レイはシンジの母親のユイのクローンであるため、シンジとレイが単純に結ばれるという結末は不可能になっています。
 だからTVシリーズでは後半になるとミサトさんやアスカの存在がせり出してきて、親子関係に問題を抱えるシンジ、ミサト、アスカの過去が暴露され、そして最後の2話での「成熟」(と言っていいのかどうかわからないけど)に至るという話になったのでしょうし、旧劇場版では大人たらんとしていたミサトさんが、大人であることを捨ててシンジにキスをして死んでしまうことで、シンジは唯一、第3新東京市の外部からやってきた「他者」であるアスカと取り残されるしかなかったのです。
 しかも旧劇場版は、見ている観客(=オタク)批判も盛り込まれたために、シンジはあたかもオタクの代表のように扱われて突き放され、ヒロインのレイは徹底的にグロテスクなイメージに変形されるというオマケもついていました。


 ところが新劇場版、特に「破」ではシンジとレイの関係が大きくクローズアップされ、「ポカポカしてほしい」からラストのシンジの叫びにいたるシンジとレイのラブストーリーが貫かれ、ある意味で完結しています。
 今までのTVシリーズや「人類補完計画」とかそういったものがなければ、あそこで「完」となっていてもおかしくないような終わり方だったと思います。


 ただ、当然ながらレイがシンジの母親である碇(綾波)ユイのクローンという設定をなしにしないとシンジとレイのハッピーエンドはないわけで、ここをクリアーしないかぎりTVシリーズにけりを付けることはできません。
 そこで個人的に注目していたのが、アスカの名前が惣流・アスカ・ラングレーから式波・アスカ・ラングレーに変わった点。
 新キャラの真希波・マリ・イラストリアスと、ヒロインの地位に収まりそうな女性キャラは綾波、式波、真希波とすべて似たような名字になります(ちなみに真希波って名前は劇中で使われたこと会ったっけ?)。 アスカの名字が変わって、しかもアスカの過去のエピソードが出てこなくなった。これが新劇場版の大きな変化です。
 というわけで、アスカも新キャラのマリもエヴァの元となっている綾波ユイとの関係性をほのめかすような名前になっており、今まで例外的な「他者」だったアスカもレイやマリと同格の存在になっています。
 このアスカから唯一の「他者」的な地位を剥奪しつつ、レイとユイの関係をクローンからもうちょっと違ったものに書き換えることで、ある意味でファンの願望であるシンジとレイのラブストーリーを成就させるのがこの新劇場版であり、旧劇場版でファンに悪態を投げつけた庵野秀明の改めてのファンへのサービスなのかなとも思っていたのです。

 
いかネタバレ有り




 が、違いましたね。
 庵野秀明はファンサービスの気持ちなんかさらさら持っていなかったようです。
 まずは、いきなり14年後に舞台を移しミサトさんや赤木博士といった馴染みのキャラを変えてしまう。
 そして、14年たったのにシンジやアスカといったチルドレンたちがその姿を変えていないというのもおかしな話です。これも深読みすれば、「旧劇場版から14年もたったのにお前ら(シンジ)は全然変わってないな」という庵野秀明からのメッセージにも思えてしまいます。
 そして「破」で自分の殻を破って成長したと思われたシンジは、その行いを完全に否定され、アスカからも「ガキ」と罵倒される。周囲から過剰な負荷をかけられ、失敗し否定されるという、あの悲しいシンジが戻ってきています。
 
 
 新劇場版では最初からカヲルくんが思わせぶりに登場していて、物語のキーとなることが暗示されていました。
 確かに、今回の「Q」ではカヲルの登場シーンは多く、シンジを導く存在になっています。が、それはあくまでも物語を前に進めるための存在で、シンジを成長させたるする役割ではありません。そして今回、「裏切ったな!」はありませんが、カヲルは裏切らずに消えていきます。


 また、前回の「破」で完全なるヒロインだった綾波レイは、そのクローンと思しきものがでてくるわけで、外見的には同じ人間が存在こそしているものの、そこに綾波レイというキャラクターを感じにくいような造形になっています。
 TVシリーズにしろ今までの新劇場版にしろ、綾波レイは感情が無いようでいてたまに感情を見せるところが、そのキャラの魅力の一つなのですが、今回はそういった感情の発露がまったくといっていいほどありません。
 今回の「Q」では綾波レイの「偽物」しか出てきていないと感じる人も多いと思います(「本物」のレイは初号機の中に閉じ込められているみたいですし)。


 そしてラストはほぼ旧劇場版のラストをなぞるシーン。結局、「破」で成長を見せたシンジは旧劇場版のラストの地点に戻ってしまっています。
 今回もシンジとアスカが赤い海のほとりに取り残されるわけですが、ただ今回はアスカがシンジを叩き起こし、その傍らには「偽物」のレイもいます。 
 この「Q」は旧劇場版をなぞりながら微妙に違う場所にたどり着いているわけです。
 というわけで「Q]とは旧劇場版の「旧」なんじゃないかと思う形でこの映画は幕を閉じます。


 けれども、旧劇場版との一番の違いは新劇場版はここからまだ続きがある点。
 当初自分が想定していた、比較的単純なストーリーは完全に否定されましたが、まだ「初号機の中に「本物」の綾波レイがいる」、「アスカ(そしてマリ)の出自がまだまったく語られていない」という点から、ストーリーの大きな見立ては完全に否定されていないと思います。
 ここまで観客の期待を裏切ってきた庵野秀明だからそんなに単純にいかないかもしれませんが、とりあえず次の展開を期待したいですね。


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