ロベルト・ボラーニョ『2666』

 ロベルト・ボラーニョの遺作『2666』、本文855ページ、上下二段組というほとんど辞書レベルの質量を持った本ですが、さすがに面白く読み応えがありました。
 ただ、ボラーニョという人の作品はなかなかつかみどころがない作品も多く、この作品もその魅力を一言で説明できるものじゃないですね。
 最初に邦訳が出た短篇集『通話』は、「タランティーノチェーホフ、その全く関連のないような2人のアーティストが、コーマック・マッカーシーあたりのテイストを通して結びついている」という感じの不思議な作品集で、ロシアのマフィアだったりラテンの女性の人生を淡々と描いていく筆致が印象に残りました。
 続いて出た上下巻の大長編『野生の探偵たち』は、メキシコの砂漠で消息を絶ったベラーノとリマという二人の詩人を追った作品で、上巻こそ同じようなことの繰り返しで退屈なのですが、下巻に入ると二人を狂言回しにした連作短編のような形になり、まるで幽霊になってしまったような二人の詩人の姿が描かれます。この下巻の迫力というのは一種異常なもので、なにか大きな謎が解かれるようなものではないのですが深い読後感を残します。


 そして今回の『2666』。『野生の探偵たち』以上のボリュームで、5部仕立てになっています。
 第1部が幻の作家アルチンボルディに入れ込みその行方を追う3人の男性と1人の女性評論家の四角関係を描いた「批評家たちの部」。第2部は第1部にも登場するメキシコ・ソノラ州サンタテレサに住むチリ人の大学教授アマルフィターノが砂漠に囲まれた街で次第に精神的に追い詰められていく「アマルフィターノの部」。第3部はアメリカの黒人記者のフェイトがボクシングの試合の取材でサンタテレサを訪れて、そこで起きている女性の連続殺人に興味を持つ「フェイトの部」。第4部はサンタテレサで起きている連続殺人事件が延々と語られる「犯罪の部」。そして最後の第5部が謎の作家アルチンボルディの人生に焦点を当てた「アルチンボルディの部」になります。

 
 当初は5部に分かれているものを5冊の小説にわけて出版する計画もあったそうですが、この5つの物語は互いに緊密に結びついていて、特に第4部でクローズアップされるメキシコ・サンタテレサでの連続殺人事件がこの大長編の一つの核になっています。
 とにかく、この第4部で羅列される事件と被害者は到底覚えていられないほどで、ティーン・エイジャーから人妻や売春婦までの女性たちが猟奇的に殺されて死体となった様子が淡々と描かれます(この連続殺人事件のモデルは「シウダード・フアレス連続殺人事件」で、その詳細は柳下毅一郎氏のブログでも紹介されています)。
 サンタテレサはのモデルとなっているシウダー・フアレスは、市の北側にあるメキシコとアメリカの国境でもあるリオ・グランデ川を渡ればアメリカに入国することができるという国境近くの街で、NAFTAの締結以来、外国資本の工場(マキラドーラ)が林立するようになりました。そこで働くために周辺から労働者が流入し、人口は急増し、同時に治安も急速に悪化。一時は「戦争地帯を除くと世界で最も危険な都市」とも言われたそうです(Wikipediaシウダー・フアレス」参照)。


 この小説の中の殺人事件の被害者の女性も、その多くはマキラドーラで働く女性たちで、その中には14歳ほどの日本で言えば中学生にあたる少女たちも多いです。一方で、貧しい男たちはアメリカへの密入国への機会を伺い、裏社会では麻薬マフィアが暗躍する。そんな金を稼ぐためだけに人びとが集まってきた街がサンタテレサです。 
 このサンタテレサが、第2部の「アマルフィターノの部」では砂漠に囲まれた荒涼とした街として描かれ、第3部の「フェイトの部」ではデヴィッド・リンチ的な悪夢を見せる街として描かれ、第4部の「犯罪の部」では絶え間なく殺人事件が続く、まるで人間を吸い込むブラックホールのような存在として描かれます。


 そしてそれを挟み込むのが第1部の「批評家たちの部」と第5部の「アルチンボルディの部」。 
 第1部は大人のラブコメディのような小説で、最後にアルチンボルディを追ってサンタテレサに行ったあとの部分以外は、この小説が描く巨大な闇を感じさせるものではありません。姿を表さない謎の作家アルチンボルディの行方を追うというミステリー的な要素はありますが、メインとなるのは情けない大人たちの恋愛描写です。
 この第1部のラブコメディから本に引きずり込まれた読者は、第2部から第4部で人を吸い込む巨大なブラックホールのようなサンタテレサの姿を知り、最後の第5部でついにアルチンボルディに出会います。
 1920年にドイツのプロイセン地方で生まれたハンス・ライターは、第2次世界対戦に従軍し、東部戦線で様々な体験をし、捕虜収容所ではポーランドのある街で起こったユダヤ人をめぐるある事件の話を聞き、そしてアルチンボルディという作家になります。


 「なぜ80歳を過ぎたアルチンボルディはサンタテレサに向かったのか?」
 この答えはこの小説を読んでのお楽しみとして、アルチンボルディの戦争体験とサンタテレサでの出来事には通じるものがあります。
 それが人を吸い込んでしまうブラックホールのような悪です。ポーランドで死んだユダヤ人もメキシコの砂漠で殺された女性たちも、その悪について語ることはできません。なぜなら、死んだ者は語ることが出来ないからです。
 一方、部外者が知ることのできるのは死んだ人間の凡庸なプロフィールにすぎません。第4部の「犯罪の部」では、記憶していることが不可能なほどの被害者のプロフィールが紹介され、ある意味で小説が停滞しますが、その停滞こそが実は恐ろしさでもあります。一人一人の悲劇がリストや統計のようになってしまっているからです。
 この小説の最後の方につぎのような部分があります。

 そして男爵令嬢が彼に、どこで、どんな状況で、どのようにして家族に会えたのか尋ねようとしたとき、アルチンボルディはベッドから起き上がり、聞いてくれと言った。そして男爵令嬢は聞こうとしたが、何も聞こえなかった。沈黙だけがあった。完全な沈黙だった。その後、アルチンボルディは言った。これだよ。沈黙なんだ。聞こえるかい?そして男爵令嬢は、沈黙は聞こえない、聞くことのできるものは音だけだと言おうとしたが、気取って聞こえると思い、何も言わなかった。(806p)

 この小説は、この何も聞こえない巨大な穴をめぐる小説であり、この穴の輪郭を何とかして描き出そうとした小説といえるでしょう。


2666
ロベルト ボラーニョ 野谷 文昭
4560092613