原武史『団地の空間政治学』

 『滝山コミューン一九七四』で「東京近郊の団地に花開いた左翼文化」という歴史的現象を自伝的に語ってみせた原武史が、今度は『滝山コミューン一九七四』よりももうちょっと学術的な形で団地の歴史と、そこで行われた「政治」について分析した本。
 大阪・香里団地ひばりヶ丘、多摩平、常盤平、高根台の各団地の歴史をたどりつつ、そこで自治会や文化サークルがいかに立ち上がり、どのように「政治」にコミットしていったのかということを、自治会報やタウン誌などを用いて読み解いています。


 この本は1960年に皇太子夫妻がひばりヶ丘団地を訪問したところから始まっています。
 できたばかりの団地はアメリカ型ライフスタイルの先端を行くものと考えられており、ダイニングキッチンや洋風家具はアメリカ風の生活スタイルを、そして一軒ごとにある浴室とシリンダー錠は家庭のプライバシーを実現するものでした。
 しかし、この本でも指摘されているようにアメリカに日本のような団地はほとんどありませbん。むしろ団地はソ連旧東ドイツポーランドなど戦災で住宅不足が深刻化した社会主義国によく見られるもので、この本の43pに載っているポーランドワルシャワのモコトゥフの集合住宅の写真はまさに日本の団地と同じです。
 

 また、団地の住民の政治意識も「保守よりも革新、資本主義よりも社会主義に共感的」(49p)でした。
 団地の住民たちは、階級的には労働者階級というよりは新中間階級で、大学の教授などの知識人も多く含まれていましたが、どちらかというと「革新」を支持する割合が高く、のちに団地は共産党の牙城になります。
 そしてここで大きな役割を果たしたのが女性です。団地の平均的な世帯はサラリーマンの夫と専業主婦と子どもで構成されていて、世帯主の男性の多くは都心の企業へと通勤していました。
 このため団地の自治会やサークル、さらには地方自治体への陳情などにおいて主婦たちが大きな役割をはたすことになったのです。


 また、女性たちが地方自治体への陳情の中心となった背景には、団地周辺の保育園不足、学校不足もありました。
 団地には新婚夫婦が集まり、またプライバシーの整った空間は団地におけるベビーブームを生み出します。その一方で、団地は何もない田園地帯や丘陵地だった場所に作られているケースが多く、保育園や学校の不足は深刻でした。この保育園不足、学校不足が女性たちの「政治意識」を目覚めさせ、自治会活動などから出発して団地の主婦が共産党から地方議員へと立候補する道を開いていったのです。
 

 1950年代後半から1970年代にかけての「政治運動」というと、どうしても60年安保闘争ベ平連学生運動など、平和運動を中心とした「大きなテーマ」を持った運動に注目が集まります。
 しかし、そうした「大きなテーマ」だけではなく、保育園の問題や団地の住民が利用する交通機関の問題など(この本での団地住民の利用する鉄道の運賃や利便性の差が団地の団結や共産党の伸長に影響を及ぼしたという示唆は興味深い)、「小さなテーマ」をめぐる「政治」も盛り上がっていたのだというのが、この本の柱となる主張になります。
 団地という一種のアーキテクチャが人びとの「政治意識」を変容させたのです。


 しかし、70年代の半ばになると急速に団地的な「政治意識」は衰退していきます。
 団地はなくなったわけではなく、高島平団地、そして多摩ニュータウンという巨大な団地がつくられますが、そこではかつての団地にあったような「政治意識」が盛り上がることはありませんでした。
 著者はこの要因として、高島平に関しては高層化、多摩ニュータウンに関しては車社会の到来をあげています。高層化やモータリゼーションの進展は団地の人びとから共通の場を奪い、自治会活動を低調化させたのです。


 もちろん、この変化が団地の持つアーキテクチャによってもたらされたのか時代の大きな流れによってもたらされたものなのかはわかりませんが、この指摘は70年代後半から急速に進んだ「非政治化」について一つの見方を提供していると思います。
 世間一般の印象では連合赤軍事件や浅間山荘事件などの学生運動の挫折がその大きな契機とされていると思いますが、象徴的な事件だけで、あそこまで急速に「非政治化」が進んだとも思えません。事実、自分の子ども時代(80年代前半)には、まだ「革新が正しい」的な雰囲気はのこっていたと思うのです(少なくても自分の住んでた東京練馬区では)。
 この本が中心的に取り扱っているのは1960年前後から70年代前半で、団地の変容に関しては最後のほうで触れられているだけですが、団地の誕生と変容が日本の「政治」を語る上で一つの視点を提供してくれているのは確かでしょう。
 不破哲三上田耕一郎竹中労といった団地で活躍した人物についての記述も面白いですが、それ以上に日本の現代史に新たな光を当ててくれた本として面白い本です。


団地の空間政治学 (NHKブックス No.1195)
原 武史
4140911956