ジョー・ブレイナード『ぼくは覚えている』

 ぼくは覚えている。封筒に「五日後下記に返送のこと」と書いてある手紙をはじめて受け取ったとき、てっきり受け取って五日後に差出人に送り返すものと思いこんだことを。

 これがこの本の冒頭の部分。基本的にこういった断片がずっと200ページ以上にわたって続きます。
 作品自体は1970年に短いバージョンが発表され、1975年に完全バージョンが出版。さらにポール・オースターが「完全にオリジナルと呼べる作品」と絶賛したこともあって1995年に復刻版が刊行されています。
 作者のジョー・ブレイナードは1960年代初頭からコラージュやイラストなどの分野で活躍したアーティストで、文筆業が本業ではありません。この本は、ほぼすべて「ぼくは覚えている。」というフレーズから始まる断片の集積で、作者の自伝のようでもあるし、詩のようでもあります。思い出す範囲は、たまに最近のものも混じっているものの、子ども時代から青年期にかけてのものが多く、いわゆる自伝的作品と言えるかもしれません。


 子ども時代の美しい思い出や、不思議な感覚について書いた自伝的小説というのはよくあるタイプのもので、この本もその特異なスタイルを除けば、ありがちなテーマを描いているようにも思えます。
 ただ、この本は普通の「美しい」小説ではとり上げないようなどうでもいいことや、子どもに特有のどうしようもない妄想といったものが、清々しいまでに列挙されていて、それが笑えるし面白いです。
 例えば、以下のようなもの。

 ぼくは覚えている。父と母がセックスしているところを思い浮かべようとしたことを。(24p)

 ぼくは覚えている。よく鼻くそをなすりつけた椅子を。(27p)

 ぼくは覚えている。ボディビルの雑誌を一冊手に入れるために、他の雑誌もたくさん買うはめになったことを。(39ー40p)

 ぼくは覚えている。ふと、小便を水に流すのはすごくもったいないんじゃないか、と感じたことを。たぶん小便は何かの役に立つし、それを発見できたら大もうけができるんじゃないかしら、と思ったことを覚えている。(66p)

 ぼくは覚えている。おすすめの風邪のひき方は、裸足で歩きまわることと、睡眠不足でいることと、髪が濡れたままで外出することなのを。(83p)

 ぼくは覚えている。祖父の裸を想像してみたことを。(おえっ!)(96p)

 ぼくは覚えている。中学生のころ、黒いひげがうっすらと生えていた女の子のことを。(127p)

 ぼくは覚えている。一家全員が自動車事故で死んで、ぼくが唯一生きのこって同情と注目の的になり、それでも気丈にふるまっていたら賞賛の声が集まる、という空想をしたことを。(150p)

 ぼくは覚えている。(ニューヨークに上京したてのころ)男が指で片方の鼻の穴をふさいで、もう片方から鼻水を道に吹き飛ばしているのを見たときのことを。(衝撃的。)


 ぼくは覚えている。つい最近、地下鉄の車内で老婦人が小便をしているのを見たけれど、残念ながら少しも衝撃的じゃなかったことを。気休めにもならないけれど、人は外れクジを引くことを学んでいくのだ。(192p)


 もちろん、もうちょっと「きれいな思い出」や50年代の文化を感じさせるものもたくさんありますし、同性愛者だったブレイナードの嗜好をストレートに表しているものもあるのですが、個人的にツボにはまったのがこうしたどうしようもない子ども時代の妄想を書き連ねた部分。
 だいたい文学は子ども時代を美化しがちなのですが、子ども時代、あるいは青年期には美化できないようなくだらないことが詰まってますよね。そんな懐かしい部分を掘り出してくれるのがこの作品。
 ストーリーはないですし、ジャンルとしてもよくわからないものなのですが、とらあえず面白かったことは確かです。


ぼくは覚えている (エクス・リブリス)
ジョー ブレイナード 小林 久美子
4560090254