若尾政希『「太平記読み」の時代』

 政治の世界、あるいは一般の社会では、ある特定の思想やキーワードがいつの間にか流通するようになり、一種の「真理」や「正義」となって政治体制を支えるイデオロギーになることがあります。
 近年だと、イデオロギーというほどではないですが、もともと左翼用語であった「構造改革」という言葉が、いつの間にか政治の最重要課題となったりもしました。
 政治体制や政治の潮流には多くの場合それを支える思想があり、江戸時代もその例外ではありません。「江戸時代の政治体制を支えた思想は何か?」と問われれば、多くの人は「朱子学」と答えるでしょう。林羅山などのはたらきによって朱子学江戸幕府を支える学問となり、江戸時代の政治的道徳を規定したというのが教科書的な理解になります。
  

 ところが、この本の著者は朱子学以上に、『太平記』とその太平記について講釈した「太平記読み」、そして特に注釈書である『太平記評判秘伝理尽鈔』(以下『理尽鈔』)こそが江戸時代の政治思想と実際の政治に大きな影響を与えたというのです。
 著者はもともと安藤昌益を研究していたのですが、安藤昌益といえばその過激とも言える聖人や釈迦の否定が有名です。丸山眞男はこの安藤昌益の思想のルーツを荻生徂徠に求めましたが、著者によればそうした過激な聖人・仏への批判はすでに『理尽鈔』の中にあります。『理尽鈔』の中では、聖人や仏は「賊」(ぬすびと)呼ばわりしています。
 中世では宗教的支配が社会を規定しており、特に顕密仏教こそがイデオロギーとして機能してきました。しかし、近世になるとこの顕密仏教は急速にその地位を失っていくことになります。その嚆矢といってもいい記述が『理尽鈔』の中にはあるのです。


 また、この『理尽鈔』は単に『太平記』の注釈をしたものではなく、数々のオリジナルの記述も含まれています。
 特にこの本で取り上げられているのは楠木正成像です。楠木正成は『太平記』の中では戦に長けた忠臣として描かれていますが、『理尽鈔』ではさらにそれに加えて「理想の君主像」が投影されています。
 『理尽鈔』では新たに家臣掌握術や農政指導などのエピソードが加えられ、楠木正成は理想的な「仁君」となっています。そして、この正成像は山鹿素行や熊沢蕃山にも受け継がれ、楠木正成を理想的な君主とする見方は広がっていきます。
 さらにこの『理尽鈔』は岡山藩藩主の池田光政、『陽広公遺訓』を残した金沢藩藩主の前田光高にも読まれ、その思想と政策に影響を与えたと著者は見ています。また、「民は国之元」という老中の堀田正俊が1680年に出した条目も、その背景には『理尽鈔』の存在があると言います。
 江戸時代の中期以降に領主層と農民層の両方である程度共有された「仁政イデオロギー」(領主支配を一種の「領主ー民の互恵関係」と考える見方)の源流にあるのがこの『理尽鈔』なのです。

 
 このように「太平記読み」の影響を確認した著者は終章で次のように書いています。

 近世においては、顕密仏教にとってかわって、「国家」についての考え方を提示し、領主層・思想家・民衆の政治意識・思想に決定定期な影響を与え、近世政治思想史の基軸となったのは、「太平記読み」であった。顕密仏教から、「太平記読み」へと、基軸となるイデオロギーが転換したのである。(384p)

 

 ここまで言い切っていいのかどうかは、江戸時代の思想史にそんなに詳しくないのでわかりませんが、『理尽鈔』というほとんど知られていなかった書物の山鹿素行や熊沢蕃山といった思想家への影響、そして何よりも池田光政などの領主層への影響をたどってみせた分析はなかなか見事で、帯にある「近世政治思想史の流れを変えた一冊!」との評価も頷けます。
 史料を丹念にたどっている本なので読みやすいものではないかもしれませんが、論文を再構成したものながら全体的な構成もうまく読ませる力がある本です。


「太平記読み」の時代: 近世政治思想史の構想 (平凡社ライブラリー)
若尾 政希
4582767753