アルフレッド・W・クロスビー『史上最悪のインフルエンザ』

 スパニッシュ・インフルエンザに関して、本当は最も重要でありながら、実際には人々にはほとんど理解されずにいることがある。それは、たった1年かそれに満たないうちに何千万人もの人々の命を奪ったという事実である。どんな疫病だろうが戦争だろうが飢饉だろうが、これほど多くの人間が、これほど短期間に亡くなった例はない。(382p)

 これはこの本の「結び」の部分に書かれている文章ですが、確かにこのスパニッシュ・インフルエンザ(日本では「スペインかぜ」と呼ばれているが訳注でも指摘されているようにインフルエンザと風邪は違うもの)ほど、その被害や影響の大きさに比べて忘れられているものも少ないかもしれません。
 この本の推計によればスパニッシュ・インフルエンザのパンデミックによってアメリカで亡くなった人(全体の犠牲者から例年インフルエンザや肺炎で亡くなる人を差し引いた数)は約44万人。これはアメリカの第一次世界大戦第二次世界大戦朝鮮戦争ベトナム戦争の戦死者の合計42万3000人よりも大きい数です(255p)。
 

 そのスパニッシュ・インフルエンザの流行の様子を、アメリカの都市や第一次世界大戦に参加した兵士の記録、さらにアラスカやサモアなどの記録から丹念に拾い上げており、まさに「史上最悪」と言ってもいいこのパンデミックがどのように広まり、人々の生活を破壊し、そして収束していったかが分かるようになっています。
 アメリカの大都市で出されたマスク着用令の効果、隣りあいながら住民の約5分の1が犠牲になったとされる西サモアとほとんど無傷でやりすごしたアメリカン・サモアの違いなど、現代のパンデミック対策にも生かされるべき知見も数多く含まれていると思います。


 また、「第一次世界大戦に参加した兵士の記録」と書きましたが、このスパニッシュ・インフルエンザの大流行は、ちょうど第一次世界大戦の終盤と重なっています。
 第一次世界大戦では、かつてないほどの国境を越えた人間の移動がありました。そして、その人間の移動とスパニッシュ・インフルエンザの流行が重なったことで世界中を股にかけたパンデミックが起こったのです。
 このスパニッシュ・インフルエンザの流行は兵士の罹患と死亡を通じて戦局に影響を与えましたし、さらに第一次世界大戦の後始末をつけるべく行われたパリ講和会議にも大きな影響を与えています。

 
 パリ講和会議においてアメリカはウィルソンの「十四か条」を掲げて会議に乗り込みますが、外交問題首席補佐官のハウスと、さらにウィルソン本人がスパニッシュ・インフルエンザに侵されたことによって、懐疑のイニシアティブを十分にとることはできませんでした。もちろん、ウィルソンとハウスが健康であれば、ウィルソンの理想が貫徹できたわけではないでしょうが、もう少しちがった結果になっていたかもしれません。
 それに加えて、スパニッシュ・インフルエンザがアメリカの議会選挙に影響を与え、ウィルソンの交渉力に影響を与えた可能性を著者は指摘します。この時の上院議員選挙は2議席差で共和党の勝利に終わったのですが、それによってウィルソンの民主党は外交委員会委員長の座を失い、ウィルソンの国際主義は葬り去られます。また、この選挙の結果はウィルソンの国内基盤を弱め、講和会議での交渉力を弱める働きをしました。 
 「歴史にIfはない」ということにはなっていますが、スパニッシュ・インフルエンザの大流行がなければ、パリ講和会議もそこで結ばれたヴェルサイユ条約ももう少し違ったものになり、その後の歴史も違ったものになったかもしれません。
 

 ちなみに僕が読んだのは旧版ですが、現在は新装版が出ています。ですから引用したページは新装版では少し違っているかもしれません。


史上最悪のインフルエンザ-忘れられたパンデミック 新装版 付「パンデミック・インフルエンザ研究の進歩と新たな憂い」
ルフレッド・W・クロスビー 西村 秀一
4622074524