フランシス・ベーコン展

 国立近代美術館でやっている「フランシス・ベーコン展」に行って来ました。
 平日の昼ということで空いてて快適。ただ、回顧展という割には作品数は30点ちょいと少ないためややあっさりしている感もあります。代表作がガッツリと集まっているという感じではないですね。
 今回の展示ではベーコンの絵を大まかに時代順に展示しているわけですが、強烈なのは初期の絵。身体が半透明だったり頭部が消えかかったりしているその一群の絵は、まるで自ら身体が消失していくような感じで、「自我の解体」の恐怖を表しているように見えます。ベーコンの絵というとその「叫び」が有名で、その叫びが「自我の解体」の恐怖を表しているように思えるのですが、例えば「肖像のための習作IV」(1953年)では、その「叫び」を手が押さえています。そうすると今度は叫びとともに解体してしまう自我を必至で押さえ込んでいるようにも見えます。
 ただ、そのまま身体が完全に消失する様だけが描かれているかというとそうではなくて、「座る人物像(枢機卿)」(1955年)では、その下半身が椅子に縛り付けれらているようです。


 「身体は硬直したまま、精神は消失しつつある」そんなイメージをベーコンの絵からは受けます。
 そしてこれと似ているのがカタレプシーと呼ばれる統合失調症の急性期などに見られる症状です。僕はこの症状を一度だけ見たことがあるのですが、非常に不自然な体勢のまま身体が硬直します。どう考えても無理で身体が痛くなりそうな姿勢なのですが、そういう姿勢をしないと何かを守れないようなそういう感じです。
 ベーコンの絵はこのカタレプシーの記憶を思い起こさせます。特に「横たわる人物像No.3」(1959年)なんかは、まさにカタレプシーを描いたように見えます。
 ベーコンが統合失調症だったかどうかはしりませんが、統合失調症とも言われるゴッホの絵に強い興味を示し、ゴッホの絵をモチーフにした作品も残していますし、統合失調症に親和的な資質があったように思えます。


 ただ、後期の作品になるとそうした統合失調症的な感覚はあまり感じられなくなります。
 相変わらずそのタッチは独特ですし、不気味でもあるのですが、「身体は硬直したまま、精神は消失しつつある」といったギリギリに追い詰められた状態のようなものは絵からは感じられなくなります。同性愛の恋人の死など、いろいろなことはあったようですが、初期に比べると精神の安定を感じさせるような絵です。
 個人的には初期の絵のほうが、強い力を感じますね。