『トゥ・ザ・ワンダー』

 テレンス・マリックの新作。前作の『ツリー・オブ・ライフ』も前半はシナリオらしきものがなく、観客を置いてきぼりにすろような映画でしたが、それでも後半はブラッド・ピットの好演もあって、「世俗」対「恩寵」という2つに生き方と、「強い父」が率いるアメリカの家族の限界性のようなものを見事に描き出していたと思います。
 ところが、今回の『トゥ・ザ・ワンダー』は最初っから最後までほぼシナリオがないような状態で、「ドラマ性」みたいなものは皆無。さらに観客を選ぶ映画に仕上がっています。


 一応、Yahoo映画のあらすじ紹介はこんな感じ。

 エンジニアのニール(ベン・アフレック)は旅行で訪れたフランスのモン・サン・ミッシェルで、シングルマザーのマリーナ(オルガ・キュリレンコ)と出会い付き合うことになる。アメリカで一緒に暮らし始めた二人だったが、やがて心が離れていくように。そんなある日、ニールは学生時代の友人ジェーン(レイチェル・マクアダムス)と久しぶりに会い、やがて彼女に心の安息を感じるようになり……。

 と、このようなあらすじを見るとベン・アフレックを主人公とした三角関係のラブロマンスかと思うでしょうが、三角関係は展開しませんし、何よりもベン・アフレックは主人公というよりはたんなる触媒みたいなもので、つかみどころがない。
 『天国の日々』のリチャード・ギアはもとより、『ツリー・オブ・ライフ』のブラッド・ピットも今までの「かっこいいブラピ」にとどまらない新しい魅力が引き出されていて、「テレンス・マリックは相変わらず男優が撮るのが上手いな」と感心していたわけですが、今回のベン・アフレックは他の誰かでも十分な感じ。というか、昔から役者としてのベン・アフレックに関しては特に強い印象がないんですが、今回もつかみどころがなく、「漫然」とした感じ。


 じゃあ、一体どういう映画なんだ?というと、個人的にはテレンス・マリックアメリカ郊外の「病理」というか「神の恩寵から見放された感」を撮りたかったんじゃないかなって思う。
 ぶっちゃけたあらすじは、「ベン・アフレック、情緒不安定なフランス女性とフランス◯日間の旅」→「情緒不安定な女性、アメリカ来てますます情緒不安定」→「帰国」→「ベン・アフレックは学生時代の友人と一時の恋」→「フランス女性とやっぱ復縁して結婚」→「ますます情緒不安定」というようなものなのですが、マリーナ(オルガ・キュリレンコ)が「ヨーロッパ」、牧場の娘でもあるジェーン(レイチェル・マクアダムス)が「古きアメリカ」、そしてニール(ベン・アフレック)が「アメリカの郊外」を表しているのかな?とも思います。


 ニールは悪い男ではないのかもしれませんが、土壌汚染の調査員をしているどこかしら不吉な感じの男で、優しいけど優柔不断で最後まで女性を受け止めるような度量の大きさのようなものはありません。ちょうど、外見は綺麗だけれども内側には「空虚さ」を抱えているアメリカの郊外のようなものです。
 マリーナはフランスから娘を連れてニールの住むアメリカの郊外にやってくるわけですが、その郊外の「空虚さ」に耐え切れずに次第に情緒不安定になっていきます。マリーナが一度、フランスに去ったあと、ニールはジェーンと付き合うわけですが、結局、ニールはジェーンの中に残っている「古き良きアメリカ」を得ることも出来ず、再びマリーナを呼び寄せます。
 けれども、結局「空虚さ」は埋まらない、というのがこの映画なんだと思います。
 そして、このアメリカ郊外の「病理」をマリーナとともに照らしだすのが、教区の神父であるハビエル・バルデム
 彼の目を通して、アメリカの郊外が神の「恩寵」から見放されてしまった土地であるということが浮かび上がるようになっています。


 アメリカ郊外の「病理」や「空虚さ」に関しては、さすがテレンス・マリック!って感じ上手く撮っているんだけど、この映画の問題点はあまりにもヒロインの「病理」が目立ってしまうこと。
 ネットで「金麦のCMみたい」という感想を目にしましたが、まさにオルガ・キュリレンコ演じるヒロインは「金麦」的な危うさに満ちているんですよね。なので、アメリカ郊外の「病理」よりもそれ以上にヒロインの「病理」を感じてしまうんですよね…。


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