マイケル・オンダーチェ『名もなき人たちのテーブル』

 映画にもなった『イギリス人の患者(映画タイトルは『イングリッシュ・ペイシェント』)、『ビリー・ザ・キッド全仕事』、『アニルの亡霊』、『ライオンの皮をまとって』『ディビザデロ通り』などの作品で知られるスリランカ出身のカナダ人作家マイケル・オンダーチェの現在のところ最新作の小説。原題は「The Cat's Table」です。
 帯に書かれている紹介文は以下の通り。

11歳の少年の、故国からイギリスへの3週間の船旅。それは彼らの人生を、大きく変えるものだった。仲間たちや個性豊かな同船客との交わり、従姉への淡い恋心、そして波瀾に満ちた航海の終わりを不穏に彩る謎の事件。映画『イングリッシュ・ペイシェント』原作作家が描き出す、せつなくも美しい冒険譚。

 
 主人公はスリランカ(当時はセイロン)から船でイギリスへと向かう少年マイケル(マイナ)。この「マイケル」という名前からもわかるように、この小説はオンダーチェの「自伝的」小説でもあります。実際、オンダーチェは11歳の時に単身船でスリランカからイギリスへと渡っており、この小説で描かれる船旅の情景のいくつかは実際にオンダーチェが見たり聞いたりしたものなのでしょう。


 原題の「The Cat's Table」とは、船の食堂の中でもっとも優遇されない「下座」のことで、そこに集まった、落ち目のピアニストのマザッパ、植物学者のダニエルズ、無口な仕立屋のグネケセラ、船の解体工だったネヴィル、たくさんの鳩を連れているミス・ラスケティといった面々、さらにマイケルと同年代のカシウス、ラマディンの二人の少年、マイケルの従姉で憧れの存在でもあるエミリーといった人々がこの小説の登場人物になります。


 船の大人たちのそれぞれの人生模様と、「毎日一つ以上、禁じられていることをすべし」(28p)という取り決めをした3人の少年の船での冒険がオンダーチェならではの詩的な文体で語られていきます。
 少年が旅をしながら大人になっていく話というのは小説の一つの定番ですが、この小説は船を舞台に、その馬鹿らしくも美しい少年時代の思い出が語られていきます。


 けれでも、この小説が単純な「少年の冒険譚」で終わらないのは途中で船を降りた後のこと、さらには大人になった後のことが語られていること。
 小説の中盤以降に挟まれる主人公のマイケルとラマディンの関係などを通じて、この船旅が単純な成長をもたらしただけでなく、ある種の喪失をもたらしたことが明らかになってきます。
 この小説は主人公の旅を追うとともに、旅の終わりで起こった事件の謎を追っていきます。人は時間がたてば嫌でも大人になっていくわけですが、すべての人が階段を登るように順調に成長していくわけではなく、場合によっては「大人にならざるを得なかった」ケースもあるのです。
 こういった「苦味」をオンダーチェは主人公の過去をさまざまな形で切り取りながら描き出します。このへんはベテラン作家ならではの上手さが光ってます。
 オンダーチェの小説はほぼ外れなしで好きなのですが(『家族を駆け抜けて』だけが未読)、今回のこの『名もなき人たちのテーブル』も良かったです。


名もなき人たちのテーブル
マイケル・オンダーチェ 田栗 美奈子
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