松木洋人『子育て支援の社会学』

 「子育て支援社会学」というタイトルから、現在の日本の子育て支援の問題点やそれに対する新しい取り組みなどについて分析した本かと思う人も多いでしょう。
 しかし、この本はそういった本ではありません。確かに「保育ママ」や「子育てひろば」など、近年になってクローズアップされてきた子育て支援の担い手にインタビューをしていますが、ここで焦点を当てられているのは「政府の子育て支援策の問題点」や「現代の母親の置かれた困難さ」といったようなことではなく、「子育て」、「子育て支援」、そして「家族」というカテゴリーそのものです。
 おそらく社会学についてある程度知っている人であれば、「エスノメソドロジーの方法論に影響を受けている本ですよ」と言えば、「ああ、そういう本か」とピンとくるかもしれませんが、それ以外の人にとって「エスノメソドロジー」なんて言葉を繰り出してもまったくわけがわからないと思うので、この本が焦点を当てようとしている問題についてもう少し説明します。


 例えば、あるピアノの才能のある子どもが、それほどピアノが上手くない母親からピアノを教わっているとします。一応、ピアノは弾けるようになりましたが、プロの目から見ると変な癖がついています。このとき、「お母さんじゃなくて専門家が教えればよかったのに」という感想はごく普通に出てくると思います。
 では、ある子どもがやや性格に癖のある母親の元で育てられ、ちょっと癖のある性格になったとします(例えば、被害者意識が強いとか)。このとき、「お母さんじゃなくて専門家が育てればよかったのに」という感想は出てくるでしょうか?おそらく出てこないと思います。
 もちろん、世の中には虐待などもあり、実の親に育てられることが必ずしも良いとは限らないのですが、それでも「子どもは実の親が中心となって育てるべきである」という規範は根強いですし、「実の親よりも専門家に育てられたほうが子どもは幸福になる」と考える人はほとんどいないでしょう。


 この子育てにおける「家族」の特権性、そしてその中で「専門家」はいかなるスタンスでこれに関わるのか?これがこの本が掘り下げていく中心的な問題になります。


 この本では「子ども家庭支援センターのスタッフ」、「保育ママ」、「子育てひろばのスタッフ」にそれぞれインタビューしているのですが、もちろん彼らの中に「実の親よりも専門家に育てられたほうが子どもは幸福になる」などという人はいません。もちろん、個々のケースで瞬間的にそう思うことはあると思うのですが、「私のほうが実の親よりも子育ての適任者である」などという人はいないでしょう。
 それどころか、彼らの多くは子どもは「できれば」家庭中心に育てられるべきだと思っており、子ども家庭支援センターのスタッフは夜遅くまでのトワイライト保育を行いつつも、そのあり方に疑問を持ったりしています。
 例えば、子ども家庭支援センターのスタッフであるAさんは次のように述べています。

 だから、トワイライトやってて思うのが、まあニーズとしてあるから仕方ない部分はあるんだけど、ほんとの姿としてはこれはいいのかなあっていうのが。(116p)

 つまり、多くの子育て支援スタッフがジレンマを抱えているわけです。子育て支援はやりがいのある仕事だけど、自分たちの仕事が増えすぎるのも問題であると感じるのです。このあたりのことについて著者は次のようにまとめています。

 つまり、子どもへのケアをともなう子育て支援サービスの提供者は、いつでも「どうして家族ではなく自分が世話をしているのか?」と問いに出会う可能性があり、そして、その問いは単なる問いではなく、子どもの「家族」や自らへの非難でありうる。(122p)


 こうしたジレンマを乗り越える一つの道が、自らの仕事を「家族支援」として捉え直すことです。「子育て支援」を「家族支援」と捉え直すことで、「家族に代わって子育てをする」のではなく、「子育てをする家族を支える」という形で自らの仕事を定義することが出来ます。この本で紹介されている「川見さん」(仮名)などは、かなり意識的にそういったスタイルをとっている人になります。
 ただ、この「川見さん」の発言はかなり「保守的」に聞こえるかもしれません。例えば、「「こんな仕事をしているより、子どもみたほうがいいんじゃない?」っていう場合もあるわけですよ。子育てって一回しかないから」(131p)という発言は、「三歳児神話」とかを信じている人の口からも出そうな言葉ですし、「女性を家庭に縛り付けるのか」と反発する人もいるでしょう。
 本書を読んでみれば、「川見さん」のトータルの考えというのはよくわかると思いますが、これを踏まえた上で著者が指摘するのが、「家族」と「子育て」の規範的連関の強さ。方法としては、家族の規範的連関を解除する、つまり「(仕事で忙しい)実の親よりも専門家に育てられたほうが子どもは幸福になる」ということも可能です。しかし、この方法はほぼ選ばれず、実の親をバックアップするという形を取ります。
 ここに「家族」という規範の強さ、しぶとさが現れていると思います。


 また、この本の後半でとり上げられているのは「専門性」の問題です。
 子育て支援に関わるスタッフは実の親よりも子育てに関する経験が豊富で、「専門性」も有しています。しかし、この「専門性」をもって親相手に優位に立とうとするならば、それは「実の親よりも専門家に育てられたほうが子どもは幸福になる」という言説を招き寄せます。
 この問題を回避するために、ある保育ママは、あえて親のやり方を真似てそのやり方に近づける努力をしていますし、子育てひろばのスタッフは、あえて「素人」のように振る舞う(「専門性」を表に出さない)ようにしたりしています。
 この子育てひろばのスタッフについて、著者は次のような分析を行っています。

 「つばきの家」(*子育てひろば)のスタッフたちが、「専門家」や「先輩ママ」であることを避けようとアドバイスをすることを控えるのも、同様にそれが利用者の責任ある母親としての「面目」を脅かしたり、利用者が責任ある母親であることを妨げたりすることになりうるからであって、彼女たちによるスタッフと利用者の非対称性についての配慮とは、母親の育児責任への配慮なのである。(203p)


 この最後に出てきた「責任」という部分が、おそらく「家族」と「子育て」の規範的連関を支える鍵です。この本でも最後に、B・フィッシャーとJ・トロントのケアについての分析から「ケアに責任をもつこと」という位相を抜き出して少し考察していますが、このへんはさらなる分析が読みたかったですね。
 それでも、十分に面白い分析を提供してくれている本ですし、特に今年子どもが生まれて子育て中で、子育てひろばなども利用している身としては、特に興味深く、考えさせられる本でした。


子育て支援の社会学―社会化のジレンマと家族の変容
松木 洋人
4787713140