黒澤良『内務省の政治史』

 「日本は明治以来の官僚国家」とか「明治以来の官僚内閣制」といった言葉をよく耳にします。
 では、それほどまでに力を持った官僚はどの省にいたのか?まあ、出てくるのは大蔵省か内務省でしょう。特に戦前の内務省は国内の内政を一手に取り仕切り、警察も支配下においていたわけですから、そこの官僚こそが戦前の日本を牛耳っていた集団の一つと見ていいでしょう(実際、以前紹介した中野晃一『戦後日本の国家保守主義』では、日本を牛耳ったなどとは書いていませんが、内務省官僚こそ「日本の国家保守主義の担い手」と見ていました)。
 民主的統制を受けなかった軍と内務省が、昭和になると政党などの民主的勢力を抑えこんで国家主義的な国づくりを進めていった。なるほど、これはわかりやすい、明解なストーリーです。


 ところが、それは違う、というのがこの本。
 内務省は、むしろ政党内閣のもとでその勢力を伸ばし、政党の没落とともにその力を失っていったというのです。
 どうしても、陸軍から内務省に勢力を張った山県有朋の山県閥の印象があって、なんとなく内務省と軍がつるんでいるようなイメージがありますが、昭和期になるとそのイメージは通用しなくなります。
 例えば、1933年に始まり、1930年代後半の重要な国策決定を担った五相会議に内務大臣は入っていません(内閣総理大臣陸軍大臣海軍大臣・大蔵大臣・外務大臣の5閣僚)。以前は、「副総理格」であった内務大臣の地位は低下し、内務省自体の地位もずいぶんと低下しているのです。
 この本では、そんな昭和期の内務省の地位の低下と、その中での生き残り策を模索の様子を描き出しています。


 目次は以下のとおり。

序 章 内務省と人治型集権制
第一章 内務省政党政治
第二章 挙国一致内閣期の内務省
第三章 「新官僚」再考
第四章 内務省と戦時体制
終 章 内務省解体と人治型集権制の変容
補 論 昭和期内務省関係資料について 


 まず、第一章では、政党内閣が選挙に勝つために内務省を重視したことと、それによって内務省の「政党化」が進んだことが説明されています。
 内務省は政党の党勢拡張に直結する選挙と警察、地方行政を所管しており、特に普通選挙導入後の政党は内務省を「使って」選挙に勝とうとします。特に初めて普選が実施された田中義一内閣では内務大臣にかなりアクの強い人物である司法省出身の鈴木喜三郎が就任し、同じ司法省出身の山岡万之助を起用するなど、今までの慣例を破る人事を行います。
 これは選挙対策の人事なわけですが、今までの慣例を大きく破った人事は、内務省のなかに「反政友会」グループを生み出し、そのグループは民政党へ接近していくことになります。この状況を著者は次のようにまとめています。

 選挙と地方行政を所管したことで、内務省は政治と行政が激しくせめぎあう、その要に位置する官庁となった。とりわけ政党内閣期には、与野党逆転を伴う政権交代を機に政友会と民政党それぞれが人事権を駆使して内務官僚、ひいては内務省の争奪戦を繰り広げていく。正統派選挙での勝利をめざしてあらゆる資源を動員しようとし、選挙が政治を支配する基本原則となった。行政機構の構成や官僚機構の運用も、選挙での勝利を至上命題とする政党の意向に従って秩序づけられた。内務省は、政党から重視され、政党を基礎とした内閣と密接に結び付くことによって有力官庁たりえたのである。(67p)


 続いて第二章。しかし、政党と深く結びついた内務省政党政治の危機とともにその基盤が揺らぐことになります。
 五・一五事件によって犬養毅内閣が倒れると、政党の選挙干渉に対する批判が強まり、内務省から独立した司法警察の設置などが議題に上がるようになります。これに対して内務省は「選挙粛正運動」を掲げ、政党からの距離をとろうとします。ただ、「距離をとる」といっても、あくまでも「反政党」ではなく、政党の影響力排除を目的としたものでした。
 この結果、1936年2月20日に行われた第十九回総選挙では「内務省の選挙運営は全体として公正が維持されたとの評価」(110p)を得たとのことです。ところが、この「政党内閣復活」の機運は、この6日後に起こった二・二六事件によって吹き飛んでしまいます。
 この第二章を著者は次のように締めくくっています。

 二・二六事件後に政党内閣復活の可能性が著しく減じたことで、「政治」と「行政」の要に位置したことの重要性もまた損なわれてしまう。これに選挙粛正運動を通して自らが「政治的」存在から「事務的」存在へと転じたことをアピールした効果が加算され、内務省が地方官人事を独占する状況に不満を蓄積させてきた文部省や農林省、商工省が、府県人事の改革を唱え始める。内務省が「内政に於ける総務省」の地位を占める時代の終わりの始まりであった。(112p)

 

 第三章の「「新官僚」再考」は、内務省における「新官僚」の位置づけと動きを追った章。内務省では「非主流派」から「新官僚」的な動きがあったのに対して、「主流派」は、陸軍との連携や新体制運動と距離をとることになります。


 第四章では、戦時体制の到来とともに内務省の権限がますます弱くなっていく様子が記されています。

 戦時の到来は、内務省行政を縮小させる厚生省の新設をうながし、また内務省総務省的行政機能と抵触する内閣機能強化を重要な政治課題へと押し上げた。さらには戦争勃発に伴う軍需物資の輸入をまかなうために、不要・不急の資金や物資の需要を抑制する直接的な経済統制の導入が不可欠となった。(中略)各省が戦時行政遂行の必要性を掲げて独自の地方出先機関を増加・拡充する傾向を強め、内務省の地方行政ラインからの各省行政の離脱が加速したことで、総合出先機関としての地方長官の役割は縮小を余儀なくされる。「政治」と「行政」に引き続き、「立案」と「実施」の要としての内務省の機能も損なわれていくのである。(165ー166p)

 このあたりの各省の独自の地方出先機関の展開については本書を読んでほしいのですが、この結果、1941年の秋には「内務省解体論」まで出てくることになります。
 日米交渉に注力していた第3次近衛内閣は、同時に内閣への権限集中をねらい、内務省を解体して「地方行政および警察を担当する「内務局」を内閣に設置する」(200p)案を用意していました(ここでは同時に大蔵省を解体して「内閣予算局」をつくることになっていた)。
 内務省は戦後、その強大すぎる権限のゆえに解体された、ということになっていますが、戦争が始まる前にすでに「内務省解体論」は議題として上がっていたのです。それも「強すぎるがゆえ」というよりは、「その機能がそこなわれたがゆえ」に。
 この本では、終章で簡単に戦後の内務省解体について触れていますが、ここまで読んでくると内務省解体が「必然」であったことがわかります。
 

 このように内務省や日本の官僚制に関する通俗的なイメージを覆してくれる本です。文章はかなり硬くてやや読みにくいところはあるのですが、日本の官庁や官僚、そして昭和期の政治を考えていく上で新たな視点を付け加えてくれる有益な本だと思います。


内務省の政治史 〔集権国家の変容〕
黒澤 良
4894349345