ブルーノ・ブエノ・デ・メスキータ&アラスター・スミス『独裁者のためのハンドブック』

 帯には「独裁と民主主義に境界はない!カエサルルイ14世ヒトラースターリン毛沢東カダフィ金正日プーチン、さらにはIOCやマフィア、実業家まで。古今東西の100を超える独裁者と組織をケーススタディとして取り上げ、カネとヒトを支配する権力構造を解き明かした、新視点の政治論。世界独裁者マップ付き!全世界の独裁者、および独裁志望者、必携!」などと書かれていますし、出版社も亜紀書房なので、「おもしろ独裁者列伝」のようなものを想像するかもしれませんが、実はきちんとした政治学者が、かなりしっかりとした政治理論のもとに「独裁」を分析した本。


 独裁者のカリスマ性などに注目するのではなく、その権力基盤のあり方に共通性を見出す理論は面白いですし、その理論の射程はかなり広いです。
 「独裁と民主主義に境界はない!」というように、独裁だけでなく民主主義を考える上でも重要な知見を数多く含んだ本だと思います。


 この本でまず紹介されるのが、カリフォルニア州ベル市の主席行政官ロバート・リッツォです。
 主席行政官とは行政の執行責任者ですが、市長とは違って選挙で選ばれるのではなく市議会によって任命されます。彼は1993年にどちらかと言えば貧しい市で財政再建を成し遂げたわけですが、同時に自分の報酬を次々と引き上げ、彼が解雇された2010年には年俸78万7000ドルをもらっていました(アメリカの大統領が40万ドル)。


 なぜ、このようなことができたのでしょう?
 リッツォは、まず自分を任命する市会議の議員たち(5人中4人)を市の公営機関の役員などにして年に10万ドル近い報酬を得させました。さらに2005年にカルフォルニア州議会が市会議員の歳費を制限しようとすると、ベル市を自治権の強い憲章自治体にする住民投票を行い、人口3万6000人の市で336票の賛成(反対54票)を得て憲章自治体に移行します。こうして課税や予算に広い権限を得たベル市は、周辺自治体よりも5割ほど高い固定資産税を住人に課し、それを市長や議員の報酬へと回していたのです。そして市会議員の選挙は、全有権者の5%、市の人口の1%強を獲得すれば当選できるような選挙でした。


 この本では、権力者を取り巻くグループを3つに分けて考えます。「名目的な有権者集団」、「実質的な有権者集団」、「盟友集団」の3つです。
 「名目的な有権者集団」は、民主主義国家では有権者です。ベル市の有権者もこれに当たります。「実質的な有権者集団」というのは、例えば社会主義国家の共産党員などですし、民主主義国家では与党議員に投票する有権者、ベル市の場合は実際に当選した市会議員に投票した人といえるでしょう。最後の「盟友集団」は、社会主義国家の共産党の幹部、独裁者を支える軍の実力者、ベル市の場合はリッツォを支えた市会議員ということになります。


 そして、この本で示されるのはこの3つの集団のサイズというものが、政治にとって決定的に重要であるという点です。特に「実質的な有権者集団」と「盟友集団」のサイズこそが、独裁と民主政治を分けるポイントだといいます。
 著者は、「独裁と民主主義のあいだには境界はない」とした上で、次のように述べています。

 都合のいい作り話だと言われればその通りだが、政府というものに種類の違いはない。違うとすれば、それは有権者集団と盟友集団をめぐる違いである。リーダーが権力を維持するために何ができ何をすべきかを、制限したり許したりしているのは、彼らである。リーダーがどれだけ制約されるか自由であるかは、有権者集団と盟友集団の相互作用による。
 (中略)
 「独裁制」という言葉の本当の意味は、「とても大きな取り替えのきく集団と、通常は比較的小さな影響力のある者の集団から引き抜かれた、とりわけ少人数のかけがえのない者の集団に依拠していること」である。他方で、民主主義について言うならば、それは「政府が、とても大きなかけがえのない盟友集団と大きな影響力のある者の集団と結びついた、とても大きな取り替えのきく集団に真に基礎づけられていること」を意味する。(57p)


 少しわかりにくい文章かもしれませんが(この本は全体的に訳文がスッキリとしていないところが多い)、先ほどの用語に直すと「とても大きな取り替えのきく集団」が「名目的な有権者集団」、「影響力のある者の集団」が「実質的な有権者集団」、「かけがえのない盟友集団」が「盟友集団」です。
 例えば、アフリカの国の独裁的な大統領は、出身部族という「影響力のある者の集団」から自分の「かけがえのない盟友集団」をつくって国を支配するパターンが多く、「とても大きな取り替えのきく集団」である国民は蚊帳の外、といったスタイルが多いですが、民主主義がきちんと機能している国では選挙で多くの国民の支持を得なければならないわけですから、「とても大きな取り替えのきく集団に真に基礎づけられている」ことになります。
 
 
 このあと、著者は「独裁者のための五つのルール」というものを書き出しています(68ー70p)。
 「ルール1 盟友集団は、できるだけ小さくせよ」、「ルール2 名目上の集団は、できるだけ大きくせよ」、「ルール3 歳入をコントロールせよ」、「ルール4 盟友には、忠誠を保つに足る分だけ見返りを与えよ」、「ルール5 庶民の暮らしを良くするために、盟友の分前をピンハネするな」の5つです。
 例えば、ルール1の紹介の後には「小さな盟友集団を頼みとすることにかけては、現代の巨匠である金正日将軍に、万歳!」と書いてあって、ブラックユーモア的な書き方をしているのですが、これは民主政治にもあてはまることです。


 もちろん、民主国家において単純にこのようなことをする政治家は選挙で負けてしまうわけですが、できるだけこのルールに従おうと政治家はさまざまなことをするのです。この本ではその例として次のようなことをあげています。

 たとえば、なぜ、議会は選挙区割りを操作(ゲリマンダー)するのか?明らかにルール1のせい、すなわち盟友集団をできるだけ小規模にするためである。
 なぜ、移民を擁護する政党があるのか?ルール2のせい、すなわち取り替えのきく層を大規模にするためである。
 なぜ、税法をめぐって激しい論争が起こるのか?ルール3のせい、すなわち歳入源をコントロールするためである。
 なぜ、アメリカの民主党は、税収の多くを福祉や社会事業に費やすのか?ルール4のせい、すなわちどんな犠牲を払っても、かけがえのない盟友集団に報いるためである。
 なぜ、アメリカの共和党は、最高税率の引き下げたがり、医療制度改革のアイデアには欠陥が多いのか?それはルール5のせい、すなわち支持者から取った金を対立政党に渡さないためである。(71p)


 政治過程を単純化しすぎていると感じる人もいるでしょうが、周りを見渡せばこの5つのルールに従った行動はいくつも見つけられると思います。
 例えば、日本の自民党について、55年体制下の自民党の盟友集団を農村の有権者と考えると、自民党は定数の不均衡を放置することで盟友集団が小規模ですむようにし(ルール1)、農家に有利な税制をつくり(ルール3)、都市の有権者から徴収した税金を使って農村で公共事業を進めたわけです(ルール4と5)。
 (ここで自民党の例を出したのは、この本を読んでいて斉藤淳『自民党長期政権の政治経済学』を思い出したから。実際、『自民党長期政権の政治経済学』の参考文献にはこの本の著者のひとりであるアラスター・スミスの論文があげられています)

 この本では、3つの集団の操作とこれらのルールに基づいた独裁者たちの政策、行動が数多く紹介されています。
 ジンバブエムガベや、ザイール(現コンゴ民主共和国)のモブツのような「どうしようもない」リーダーも、これらのルールに従い、3つの集団をうまく操ることで権力の座を保持することができたのです。
 また、第6章の「賄賂と腐敗」では、巨大な組織でありながら、できるだけ小さい盟友集団を維持し続けているIOCFIFAの事例などもとり上げています。これらの組織では委員の数を絞ることで委員が賄賂を受け取るチャンスを大きく広げているのです。


 他にも政治的に面白い知見がこの本にはたくさん載っています。
 第7章の「海外援助」では、独裁国家に対する援助が必ずしもその国の国民の生活の向上につながらないことが示されていますし、第9章の「安全保障」では、民主国家は「勝てる戦争」しかしないのに対して、独裁国家は戦争の勝敗に鈍感だということが述べられています。
 

 そしてこの本が教えてくれる重要な事は、形式的に選挙をしたからといってより良い政治が実現するわけではないということです。
 この本では独裁と民主主義の境界が曖昧であることが強調されています。最初のベル市の例のように、民主主義のもとでも制度をいじることでよって独裁的な政治システムは生まれてしまうのです。これらを踏まえて著者は次のように述べています。

 有益な変革をもたらす行動がある一方で、進歩を妨げる行動もある。それらのうちでもっとも当てにならない解決策のひとつが選挙である。危機に直面たリーダーは、自由で公正な印象をあたえるために、しばしば詐欺的な選挙という手段に訴える。言うまでもないが、インチキな選挙で、国政が良くなり人々がより自由になるわけではない。むしろインチキな選挙は、、影響力のある者と盟友集団の人数に何ら影響を及ぼすことなしに、取り替えのきく者の層を増やすことでリーダーを活気づかせるものである。
 確かに、意味のある選挙を実施すること自体が最終目標かもしれないが、決して彼ら自信の利益のために選挙が目的化されるべきではない。国際社会は、選挙がどれほど意味のあることかを慎重に考えることなく、その実施を推進しようとする。そうした選挙によって達成されるのは、汚い政権をより堅固にすることだけである。(中略)
 最後に言わせてもらえば、選挙は広範な自由の下で行われるべきであって、選挙が広範な自由を実現してくれるなど思ってはいけない。(354ー355p)


 このようにこの本はたんに独裁者の手口を紹介するだけではなく、しっかりとした理論を元に政治そのものを深く分析した本です。やや、訳文が読みにくいという欠点はありますが、政治に興味のある人にとっては読み応えのある本だと思います。


独裁者のためのハンドブック
ブルース・ブエノ・デ・メスキータ アラスター・スミス 四本健二
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