レイ・ヴクサヴィッチ『月の部屋で会いましょう』

 東京創元社の<創元海外SF叢書>の第3弾は、1946年生まれのアメリカの作家レイ・ヴクサヴィッチの短篇集。原書はケリー・リンクの主催する出版社スモール・ビア・プレスから刊行されています。というわけで、この本も「SF!」というよりはSF的な設定の話も交えた不思議な話の短篇集といった感じ。
 本書の雰囲気に関しては、帯に書かれた芥川賞作家の藤野可織の次の一文が参考になるでしょう。

死んじゃうくらい楽しくて悲しい。
この本のなかも、多分、私たちのいるこっちも。
ヴクサヴィッチの生真面目なふざけ方を学べば、生きていけるかもしれない。


 ポイントは「生真面目なふざけ方」というところ。
 荒唐無稽な設定の話が多いのですが、例えば解説であげられているラファティなんかに比べると圧倒的に「生真面目」なんですよね。
 例えば、冒頭の「僕らが天王星に着くころ」は、ある日突然、人間の皮膚がだんだんと宇宙服に変化し始め、宇宙へと飛び立っていってしまうという病気(?)が流行っている世界を描いた作品です。
 いくらでもアホな話になりそうな設定ですが、けっこう真面目なラブストーリになっています。もちろん、笑える所もあるんですけど、読後感としては「切ない」感じ。
 頭から木が生えて怪物になってしまった幼なじみを描いた「最終果実」なんかも、馬鹿な話でありつつも、やはり「切ない」感じです。
 このへんは「ふざけていても生真面目」な面が出ています。


 一方で、「生真面目にふざけて」見せた作品もあります。
 「床屋のテーマ」は女性理髪師が常連の客の髪を切ろうとするとそこにジャングルが広がっているという話で、「セーター」は彼女の手編みのセーターを着たらそこから抜け出せなくなる話。
 いずれも突飛な設定なんですけど、意外と真面目に話が進んでいくんですよね。


 他にも「母さんの小さな友だち」は、活発だった母親がナノピープルと呼ばれる小人に体を乗っ取られ、ナノピープルの身の安全のために、すっかり愚鈍で何もしない人間になってしまった話。子どもたちはこのナノピープルを追い出すためにあることをするのですが、これはなかなか設定と「ブラックな笑い」がうまく融合していて面白いです。


 今、「ブラックな笑い」と書きましたが、設定はピカイチでもこの作品集のやや弱いところはその「ブラックな笑い」。
 ないわけではないのですが、そこにもっと切れがあれば文句なしに面白い本になったと思います。
 ただ、「ささやき」、「ふり」など、ちょっとホラーっぽい作品も面白いですし、全体的に楽しめる本であることは間違いないです。突飛な話が読みたい人にはお薦めです。


月の部屋で会いましょう (創元海外SF叢書)
レイ・ヴクサヴィッチ 岸本 佐知子
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