フィリップ・ロス『プロット・アゲインスト・アメリカ』

 1940年のアメリカ大統領選挙でもしも反ユダヤ主義者のリンドバーグが大統領になっていたら…、という歴史改変小説なのですが、これが実に良く出来ている。
 フィリップ・ロスは『さようならコロンバス』、『素晴らしいアメリカ野球』、『父の遺産』あたりを読んでいて、『素晴らしいアメリカ野球』以外はそんなに面白かった記憶がないんですけど、さすがに小説の作り方が上手いですね。
 訳も柴田元幸なので、非常にスムーズに読めると思います。


 まず何と言ってもこの小説の魅力は歴史改変のアイディアとそのアイディアが歴史的事実に則して上手に展開されていくこと。
 冒頭で述べたように、この小説の歴史改変のポイントは「1940年の大統領選挙でリンドバーグが大統領になる」というものです。
 チャールズ・リンドバーグは、ご存知、1927年に大西洋単独無着陸飛行を成功させた人物で、その偉業は映画『翼よ!あれが巴里の灯だ』にも描かれました。
 また、人によってはその後に起きたリンドバーグの誘拐殺人事件をご存知かもしれません(クリント・イーストウッドの『J・エドガー』でもとり上げられていました)。
 

 しかし、リンドバーグナチス・ドイツから鷲功労十字章をもらい、反ユダヤ主義の考えを持ち、アメリカの第2次世界大戦参戦に反対したという事実については知らない人が多いかもしれません。
 1941年にはアメリカの参戦に反対する集会で、イギリスとユダヤ人とローズヴェルト政権がアメリカを戦争に引きこもうとしているという演説をしており(その内容はこの本の最後にある「資料」で読める)、1940年の大統領選においても実際に一部の共和党の政治家がリンドバーグを大統領候補に担ごうとする動きがあったそうです。


 この小説において、リンドバーグは飛行機で全米を回って大統領選挙に当選し、アイスランドヒトラーと会談し、ドイツとアメリカの平和的関係を確立すると、ホノルルで近衛文麿松岡洋右と会談し、日本のアジアへの侵略を認める代わりにフィリピンやグアム、ハワイといったアメリカの勢力圏の安全を確定させるのです。
 このリンドバーグをささえるのが副大統領バートン・K・ウィーラーや国務長官ヘンリー・フォード。ウィーラーは最初はローズヴェルトを支持しつつ、のちにアメリカの参戦を巡ってローズヴェルトと対立し、ヒトラーとの交渉を主張した人物。ヘンリー・フォードはご存知フォード社の伝説的な経営者ですが、反ユダヤ主義者でリンドバーグと同じくナチスから鷲功労十字章を受け取っています。


 このように当時の実在の人物や歴史的状況をうまくとり入れながらそれを改変してみせたところが、まずこの小説の魅力なのですが、焦点が当てられるのは、あくまでもロス本人をモデルとしているニュージャージー州ニューアークに住むユダヤ人の一家です。
 主人公のフィリップは7歳。まだ現実の社会や政治の動きがわかる年齢ではないのですが、その子どもの生活にも両親や親戚、そして社会の風向きの変化などを通じて、反ユダヤ主義の圧力というものが伝わってきます。
 そして、この圧力にさらされたとき、いとこのアルヴィンはカナダにわたってドイツとの戦いに加わろうとし、兄のサンディはユダヤ人を脱して「模範的なアメリカ人」になろうとします。


 しかし、その圧力はやがて、ユダヤ人をユダヤ人地区から地方へと移住させようとする「ホームステッド法42条」という姿で、ユダヤ人のコミュニティを解体しようとします。
 それはユダヤ人を追放するものではなく、あくまでも表向きは良きアメリカ文化に染まっていないユダヤ人を「同化」させるためのものです。
 

 このような圧力の描き方も上手いですし、さらにそれに立ち向かう家族の描き方も上手い。人々は英雄になりそこねたり、火事場の馬鹿力的なもので英雄になったりしながら、なんとかこの大波に抵抗しようとします。
 最後の主人公の友人セルドンの描き方だけが個人的には好きではないのですが、家族、そして子どもの世界を描いた物語としても十分に面白いものがあります。
 500ページ近い小説ですが、長さを感じさせずに、「読ませる」小説ですね。


プロット・アゲンスト・アメリカ もしもアメリカが・・・
フィリップ・ロス 柴田 元幸
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